80億ドルを超える債務
当初の目論見が外れたとしても、ムナンガグワ大統領が真っ先に取り組まなければならないのが経済再建であることに変わりはない。既にこの20年、ジンバブエ経済は崩壊の淵にあるからだ。かつては、温暖な気候と広大な土地に恵まれジンバブエはアフリカの穀倉庫と言われた。加えて、鉱物資源も豊富で特に国内に広がるプラチナ鉱床は世界第二位の埋蔵量を誇る。
それが、世紀が変わるころからおかしくなった。ムガベ大統領の与党Zanu-PFが白人所有の土地を強制収用し始めた。ジンバブエが豊潤な穀物地帯の名をほしいままにしていたのは白人の農場経営によるところが大きかった。白人は土地を没収され、その土地は黒人に分け与えられたが、爾来、ジンバブエ経済は凋落の一途をたどっていく。GDPは急速に下落し、2008年を底に再び持ち直す動きにあるものの、今なお1998年のレベルに達していない。
豊富な農作物輸出に助けられ、貿易黒字が続いていたジンバブエの経常収支は一時、赤字がGDPの30%近くにまで達したが、今なお赤字は10%を越えるレベルにある。失業率は依然高く、正規の就業者は労働人口の6%でしかない。
何と言っても、この国には通貨と呼べるものがなくなってしまった。ジンバブエのハイパーインフレはあまりに有名である。当時、物品の価格はあってなきがごとしであり、日に何度も価格改訂が行われたもののインフレに追いつかなかったといわれる。
スーパーでは、品物の金額を変えるたびに上から新しい値札を貼り付けていくが、品物につけられた値札はそこだけが異様に盛り上がっていた。レストランに入った客は、食事を注文してすぐ支払いをしないと、レストランから出る時にはもう料金が値上がりしているという有様だった。何と言っても年率数千%、数万%ともいわれるインフレは凄まじい。正確な数字は誰も知らない。庶民にとり地獄の毎日である。
そういう経済をどう立て直すか。次期政権に与えられた課題はあまりに重いが、いずれにせよ、国民は相当の痛みを覚悟せざるを得まい、というのが大方の見方だ。世銀等に対する80億ドルを超える債務の弁済は滞ったままだし、通貨の切り下げ、債務帳消し等思い切った対策が不可欠であるものの、国民がどれだけ痛みに耐えられるか、今の時点では誰にもわからない。
それにしても、ジンバブエはどうしてここまでひどくなったのか。経済運営に失敗したことは事実としてもそれだけではあるまい。
「偉大すぎる英雄」という代償
1980年、ジンバブエの独立が成り、晴れて黒人政権が誕生した時、大統領に就任したムガベ氏は解放闘争の英雄と称賛された。困難な闘争を率い、晴れて独立を勝ち取ったムガベ氏は高い教養を身に着けたアフリカの中でひときわ輝く偉大な指導者だった。だからこそ、ムガベ氏が白人を追い出し経済が混乱し、国民の多くが飢餓状態に置かれても、近隣のアフリカ諸国はムガベ氏に何も言えなかった。
南アフリカのムベキ大統領(当時)は、何度もジンバブエに足を運びその非を説いたが、解放の英雄としての格の違いは余りに大きく、ムベキ大統領は結局何も言えず引き下がらざるを得なかった。ムガベ氏の成し遂げたことはそれだけの偉業だったのである。それがどうして悪名とどろく独裁者に転落していったのか。
政権末期、経済が混乱する中、富は一部権力者が私物化した。ムガベ大統領は中国が造った輝くような大統領宮殿に住み、若い女性を娶り、贅の限りを尽くした。裏では、ムナンガグワ氏が治安責任者として国中に目を光らせていた。何回かおこなわれた選挙の不正はあまりに有名で、その陣頭指揮を執ったのもムナンガグワ氏である。
結局、ムガベ大統領は軍により排除されたが、権力は腐敗するということだろうか、如何に解放の英雄であったとしても、長年権力の座に居座り続け権力が腐敗するに任せたムガベ氏は国民から見放されざるを得なかった。国民のためと称し、解放に成功した英雄だったが、結局は国民を食い物にした挙句、政権の座を追われていく。どこでも見かける光景だがアフリカにはその例が殊の外多い。
そういう中にあって、南アフリカのマンデラ元大統領と東ティモールのグスマン元首相は稀有な存在というべきだろうか。