翻訳家としての才能
ガンが見つかってからも天野氏の仕事のペースは落ちることはなかった。いや、そのペースはむしろ上がり、逆に、ふくよかだった外見はどんどんシャープになっていった。「あんまり無理するな」と伝えたこともあったが「大丈夫、大丈夫」といつもの短い口調で返され、こちらも何も言えなくなった。
遺作になったのは、台湾の有力作家・呉明益の小説『自転車泥棒』であり、今月出版されたばかりだ。最後の力を振り絞ったのだろう。本の完成を見届け、力尽きて、病魔に連れ去られてしまった。しかし、天野氏が『自転車泥棒』を最後の仕事にしようと思っていたわけではない。私が知っているだけで、何人かの知り合いの編集者に新しい企画を打診し、さらなる翻訳に意欲を見せていた。
天野氏と最後に会ったのは6月だった。私の本の新刊イベントで対談の相手を務めてもらった。天野氏が去年手術したことは知っていたが、思いのほか、この日は元気なように見えて、しっかりと本に目を通してきてくれていたのが天野氏らしく、的確なコメントがありがたかった。終わったあとに打ち上げにも出かけた。
2人とも、残念ながら、過去にいちばん売れた本は実は台湾に関するものではなかった。私は『イラク戦争従軍記』であり、天野氏は香港ミステリーの陳浩基『13・67』であった。「いつか台湾のテーマでいちばん売れる本を出したいなあ」と締めのラーメンをすすりながら笑いあった。それが最後に印象に残った天野氏との会話となった。
ただ、天野氏の翻訳家としての才能に本当の意味で驚嘆したのは、その香港ミステリーだった。香港は天野氏にとって門外漢の土地だ。原作の広東語的なニュアンスの濃い文章を、天野氏は独自の解釈で見事な日本語に飛躍させ、生まれ変わらせていた。私にはできない仕事であり、翻訳に手を出すのはやめようと内心思った。
天野氏の翻訳作業への入り込みぶりと原作をいい意味で日本語世界に解釈し直す能力は、呉明益が天野氏の死去後にフェイスブックで「(日本で出版された)『歩道橋の魔術師』と『自転車泥棒』は、私と天野の共同作品だ」と書いた通りである。