2024年12月23日(月)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2018年11月21日

日台双方にとって埋めがたい損失

 天野氏の死去について、すぐ近くでその活動を見つめてきた朱文清・台湾文化センター長が「台湾文学の損失だ」と語った。台湾文学は外国文学のなかで日本では極端にマイナーな分野であった。優れた作品は数多く出版されているのにアカデミズムの世界以外で紹介されるチャンスが極端に少なかった。その無人の荒野に分けいって、『台湾海峡一九四九』や『歩道橋の魔術師』など商業的にも一定の成功をあげたのは天野氏の訳と作品選択の戦略性が大きく作用したことは間違いない。

 ほかにも天野氏の翻訳を待つ作品は山ほどあった。すぐに代わりがいるわけではない。その意味で、台湾文学の損失という言葉は極めて的確である。私が付け加えるとすれば、日本における台湾理解の普及という意味でも、大きな損失である。

 龍応台の『台湾海峡一九四九』『父を見送る』、呉明益の『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』、ジミーの『星空』『おなじ月をみて』など、近年の台湾の最先端の優れた読み物が天野氏の手で日本の読者に届くことになったのは、天野氏の消えることがない功績である。しかし、その才能が本当の意味で開花するのはこれからだった。

 翻訳書以外の天野氏の文章はそれほど多くは残されていないが、エッセイなどどの文章にも、翻訳作業を通して研ぎ澄まされた言葉の輝きがあった。翻訳で培った思考を今後独自の文章で表現していってくれたら、ロシア語の通訳・翻訳家で作家でもあった故・米原万里さんのような書き手になっていたのではないかと思う。その才能の喪失は、いろいろな意味から、あまりにも惜しい。

 イベントでも個人の会話でも、天野氏の言葉遣いはぶっきらぼうで、経過をすっ飛ばして結論が先に出てしまうので分かりづらい。そして、根がシャイなので、自分を卑下したり、逆に強がったりして、その真意が伝わりにくいときもある。しかし、不思議と、いったん天野氏とそれなりに繋がった人間からは等しく好かれた。それは、天野氏の言葉や態度に揺るぎない一貫した確かさを誰もが感じたからだろう。

 まるで流れ星のように終わってしまった翻訳家としての活躍は、この10年の台湾文学を一掴みにして日本の読者に投げつけて、「さあ、楽しんでくれ!」と言い放って消えていったようなものだ。ひどい仕打ちではないだろうか。私はこれから未読の『自転車泥棒』を手にとって読み起こしながら、静かに天野氏の冥福を祈りたい。しかしながら、それは決して愉快な読書にはならないだろう。言葉の神様が舞い降りたような名訳に、二度と触れることができないとわかっているから。

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