本書のタイトルに「台湾人」ではなく、敢えて「タイワニーズ」という表現を用いたのはなかなかうまい工夫である。
「台湾人」という三文字が帯びる複雑さ
台湾におけるエスニック・グループの構成は複雑である。大多数は広義の漢民族だが、彼らの渡来以前からこの島に暮らしていた先住民族もいる(現時点で16族が政府により認定されており、この数字も変動する可能性がある)。漢民族の中でも福建省から渡来した閩南系が多数を占める一方、客家系も存在するし、戦後には国共内戦に敗れた国民党政権が台湾へ移転するに伴って大陸各地から多くの人々が逃れてきた(戦前から台湾にいた人々を「本省人」、戦後に大陸から来た人々を「外省人」という)。
日本の植民統治下で台湾の住民は「日本人」になるよう強いられた一方、それへの反発から「台湾人」意識が芽生えたが、これは中国を祖国とみなすことを前提としていた。つまり、「中国人」意識の枠内における「台湾人」意識であった。戦後の国民党政権は「中国人」意識の高揚に努めたが、二二八事件や白色テロに対する反発から「本省人」の間では「台湾人」意識を強める動きが出てきた。この場合には「中国人」への対抗意識としての「台湾人」という政治的意味合いが強くなる。民主化が進むと、エスニックな多元性をゆるやかに統合するため「新台湾人」という概念も提起された。
いずれにせよ、「台湾人」という言葉に込められた含意は、エスニックな来歴の複雑さのみならず、時代状況によっても大きく異なってくる。英語的に「タイワニーズ」と表現したところで日本語に直せば同じだと言われるかもしれない。しかし、「台湾人」という漢字三文字そのものが帯びている複雑な語感はいったん保留できる。その上で、漠然と台湾に関係する人々の物語なのだとほのめかしてくれる。
この漠然としたタイトルこそ重要である。「〇〇人」という呼称は、その対象とする人々の範囲を限定する作用を持つが、台湾のエスニックな複雑さはそうした定義になじまない(これは台湾に限らないかもしれないが)。その上、本書が取り上げるのはいずれも越境的な生涯を運命づけられた人々である。むしろ、曖昧なタイトルであるがゆえに、それぞれに個性的なライフヒストリーを並べて語り得る許容性がある。そして、曖昧な境界線上を行き来した一人一人のタイプの全く異なる生き様を通覧して浮かび上がってくるもの──そこに「台湾」とは何かを改めて考え直すヒントが秘められているとも言えよう。