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Washington Files

2018年12月17日

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斎藤 彰 (さいとう・あきら)

ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長

1966年早稲田大学卒業。68年米カリフォルニア州立大学バークレー校大学院修士課程修了、70年読売新聞入社。ワシントン常駐特派員を2度務めた後、アメリカ総局長、東京本社取締役調査研究本部長などを歴任。著書に『中国VSアメリカ』『アメリカはカムバックする!』(いずれもウェッジ)がある。

 次に、「金大中拉致事件」を振り返ってみよう。

 金大中氏は韓国が軍事体制下にあった1971年、大統領選に野党「新民党」(当時)候補として立候補、再選を狙う当時の朴正煕大統領相手に戦いを挑んだが、わずかに及ばず敗退した。その後は、「民主主義回復」をスローガンに掲げる反体制活動家として国内各地を行脚、国民の多くの支持を集め始めたため、朴政権にとっても同氏の存在は脅威になりつつあった。大統領選の直後には、走行中の同氏の車に大型トラックが激突、同乗していた3人が死亡、本人も腰と股関節を骨折する事故があったが、韓国情報部(KCIA)の犯行とみられている。

 そうした中、73年8月8日、アメリカで活動中だった金大中氏は、自民党反主流派の宇都宮徳馬代議士の招きで講演のため来日、千代田区九段のホテル・グランドパレスで韓国民主統一党(当時)の梁一東氏との会談を終えた直後に待ち伏せていた6~7人の男たちに襲われ、そのまま行方がわからなくなった。

 日本の警視庁、警察庁は韓国民主化運動のリーダーとして国際的にも知られる大物政治家の“蒸発”であるだけに、全国に捜査網を広げ、警察官を総動員して捜索を開始、その間、韓国情報機関(KCIA)犯行説も浮上したものの、結局、足取りはつかめないままだった。

 そして拉致から5日後、金大中氏は顔や腕に傷を負った状態でソウル市内で解放され、そのまま自力で自宅にたどりついた。

工作船で日本海に入り、足に重しをつけられ海中に投げ込まれそうになった

 筆者は当時、新聞社社会部の遊軍記者としてこの大事件の取材に当たっていたが、「ソウルの自宅で解放」の外電速報を受けて、ただちに本社デスクから電話を入れたところ、たまたま運よく本人が電話口に出て「危うく殺されるところでしたが、なんとか無事に自分の家に戻ってきました」と弱々しい口調の日本語で丁寧に語ってくれたのを鮮明に記憶している。

 同氏はさらに身柄釈放後の記者会見で(1)グランドパレスの部屋でクロロホルムを沁み込ませた布で顔を覆われ意識もうろうとされた後で男たちに運び出され、そのまま車で関西方面に連れ去られた(2)そこから工作船で日本海に入り、途中、足に重しをつけられ、そのまま海中に投げ込まれ殺されそうになった(3)その直前、上空に飛行機が飛来し照明弾のようなもので警告が発せられたため、一味は海中投棄を断念、船底に入れられたまま釜山、ソウルをへて自宅近くで解放された―などと証言している。

 その後、警視庁、警察庁の調べで、同事件はKCIAの犯行によるものであり、在日韓国大使館の金東雲一等書記官(当時)が実行犯の中心人物だったことなどが、明らかにされた。しかし、同一等書記官は「外交特権」を盾に日本側捜査当局による身柄拘束を免れ、本国に帰還したため、事件の全容解明は不可能となった。

 一方、韓国政府側は、同一等書記官が在日KCIAの中心的人物であったことから、その上司である李厚洛部長を解任したものの、朴正煕政権としての事件への関与は一切認めず、その後は、日韓首脳会談などをへて真相は闇の中に置かれたまま「政治決着」となった。

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