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Washington Files

2018年12月17日

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斎藤 彰 (さいとう・あきら)

ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長

1966年早稲田大学卒業。68年米カリフォルニア州立大学バークレー校大学院修士課程修了、70年読売新聞入社。ワシントン常駐特派員を2度務めた後、アメリカ総局長、東京本社取締役調査研究本部長などを歴任。著書に『中国VSアメリカ』『アメリカはカムバックする!』(いずれもウェッジ)がある。

二つの事件で共通する部分

 この二つの事件を比較すると、共通する部分が少なくない。それは以下のような点だ。

  1. カショギ氏、金大中氏の両氏とも、かつてそれぞれの国において民主化促進のための言論、政治活動を通じ、民衆の間に幅広い支持を集め、それだけ政権中枢にとっては存在自体が脅威になりつつあった
  2. やがて両氏とも、そのまま国内にとどまって活動を続ければ身の危険を伴うことを事前に察知し、人権擁護を重視するアメリカでの生活をスタートさせた
  3. 両国の情報機関はそれぞれ、当人の身柄を確保し、本国に連れ戻すことを画策、そのための情報収集や準備のための秘密活動を米国内でも展開していた
  4. 両国政府はいずれも事件発覚後、犯行が情報機関によるものであることは認めたが、政権中枢の関与は完全否定した
  5. この間、米情報機関はこの二つの事件に関連して、米国内外における両国情報機関の事前の動きをある程度把握していた

 このうち、金大中事件における米情報機関および米政府当局の動きに関しては、確たる情報がある。まず、金大中氏本人が、筆者との二人だけの夕食の席で漏らしてくれた後日談だ。

 同氏が韓国に戻り大統領選に立候補する3年前の1994年5月、ワシントン滞在中の金大中氏から夕食の誘いの電話が入り、市内マジソン・ホテルのスイート・ルームでフルコースの食事をご馳走になりながら2時間近く米韓関係、日韓関係などについて懇談した。その中で「拉致事件」についてこちらから改めて尋ねたところ、以下のような裏話を吐露した。

 「私がグランドパレスから連れ出され、目隠し、両手を縛られたままの状態で船に乗せられ、日本海に出たところで、突然上空に飛行機が飛来し、照明弾のようなものが船めがけて発射された。その直前まで一味は私と重しをロープで縛りつけたまま海中に投げ込み水死させるつもりだったが、この警告弾があってから殺害計画は中止された……

 実はそれから何年もたってあとから知らされたことだが、あの時、工作船の上空に現われたのは、日本の自衛隊機だった。自衛隊機が来てくれなかったら、私は永遠に帰らぬ人となっていた。問題の飛行機が当初伝えられたような米軍機ではなく、自衛隊機だったという新事実はのちに、元CIA高官から聞かされ初めて知った」(1994年5月14日付け読売新聞夕刊一面トップ)

 つまりこの金大中証言は、米情報機関が間違いなく事件発生当時から、KCIAの動きを監視、追跡していたことを裏付けており、金大中氏本人もこの点を夕食の席で強調していた。

 さらに、同事件については米情報機関のみならず、当時のニクソン大統領以下ホワイトハウス首脳陣も重大な関心を持ち、金大中殺害を回避させるためにソウル青瓦台の朴正煕大統領に直接働きかけていた事実をのちに筆者に明かしてくれた人物がいる。当時のこの「ホワイトハウス高官」は「とにかく金大中氏が殺されずにすんだことはよかった。彼はのちに大統領にまでなったのだから……」と回想した。

 そしてまさにこの点こそ、「カショギ氏殺害事件」との違いを際立たせる重要な分岐点であったと言える。つまり、米政府は日本で起きた拉致事件の場合、あらゆる自国情報機関を動員、積極介入した結果、金大中氏は難を逃れることができたのに対し、カショギ氏の場合は、米情報機関も同様に事件の展開を把握していたが、遺憾ながら無残な結末を招いてしまったという違いだ。

 では何が、そうさせたのか?

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