トランプを読み解く

2018年12月26日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

なぜメディアを敵に回すのか?

 もう少し話が逸れる。トランプ氏は大統領就任後、ホワイトハウス記者会が毎年春に開催する恒例の夕食会を2回連続欠席していた。さらに「フェイクニュース」を連呼したり、記者を「出入禁止」にしたり、ずいぶん乱暴なことをしてきた。なぜメディアと対立するのか。メディアを敵に回して大統領には勝ち目があるのか。これを解明するには、2つの本質的な矛盾に着目する必要がある。

 1つ目は、メディアと民主主義の矛盾。

 メディアといえば民主主義の象徴といってよい。では、メディアと民主主義とはどこが矛盾なのか。それよりも、民主主義制度のもとで国民に選ばれた大統領であるトランプ氏は、なぜメディアから批判・攻撃を受けなければならないのか、という疑問がある。

 ある意味で国民に選ばれたトランプ氏を馬鹿にすることは、つまり国民の意思を馬鹿にすることでもある。エリート層が主宰するメディアはそもそも民意をどう捉えているのか。

 大多数の国民は決して国家単位の共同体利益を総合的に考慮できるほどの賢人ではない。よって、その国民の意思を積み上げる政治は現実的ではない。政治家は理性と知性をもって民意の修正をしなくてはならない。そうした作業を行わずに、単純なる民意の集結だけでは、国家運営がうまくいくはずがない。そういう馬鹿なことをやる大統領は馬鹿だと、エリート層のメディアは批判する。

 民主主義の産物であるメディアは、いざ知識人で構成されるエリート層に掌握されると、素朴な民衆に対して直ちに上からの目線を取るのだ。

民衆を馬鹿にする民主主義のパラドックス

 2つ目は、ポピュリズムと民主主義の矛盾。

 ポピュリズム、民意迎合というのは常に批判される対象となる。民主主義の本旨は民意の政治への反映であれば、民意迎合のどこがおかしいのか。むしろあってしかるべきだ。ポピュリズムの汚名をトランプ氏に押し付ける裏側には、民意の非理性・不合理性に対する否定が見え隠れする。

 そもそも、「ポピュリズム」とは何か。それは、エリート層の思惑通りに、あるいは筋書き通りに民衆が動かない現象に対する不満、苛立ちと批判の表れにほかならない。エリート層は自らの民衆に対する影響力の脆弱さを反省せずに、民衆を馬鹿にし、民衆を軽蔑し、あるいは民衆に責任を転嫁する。そうした意味が込められているのだ。

「誰よりも民衆を愛した君は、誰よりも民衆を軽蔑した君だ」という芥川龍之介の名言を思い出せば、納得する。

 トランプ氏は内心でどう考えているのか。「何が民意だ。そんな無茶なことはうまくいくはずがない。あっそ、それでも言うなら、この俺がやってやろうじゃないか。失敗したら民意が悪い、民衆の責任だ。成功したらオレ様の功績だからな。やってやろうじゃないか」と、それはまったく私の邪推だけれど。

 こうした錯綜する関係を整理してみると、メカニズムはなんとなく見えてくる。

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