2024年12月22日(日)

トランプを読み解く

2018年12月26日

シリアからの米軍撤退をトランプ大統領が決断した。大方の識者はこれを批判している。衝撃のあまり、厳しく批判し、憤慨している人も大勢いる。識者の見解だけに根拠はしっかりしているし、問題点の指摘も明快。どの記事を読んでも納得させられる。ただ1つだけ、そのほとんどは評論家の目線で諸問題を捉えている。当のトランプ氏本人の立ち位置や目線とはどんなものか、大変気になるところだ。2つの論点に分けて考えてみたいと思う。

12月19日、トランプ大統領は米軍のシリアからの撤退を発表(写真:AFP/アフロ)

公約と現実のギャップ

 シリアからの米軍撤退は、トランプ氏の公約だった。まず、1つ目の論点は、公約と現実のギャップをどう処理するかという実務問題の扱い方から入りたい。

 時間軸を遡ってトランプ氏が大統領に当選したときのことを思い出したい【参照:「ずけずけ言う男、トランプ流の選挙マーケティング」トランプを読み解く(2)】。トランプ氏の当選それ自体がまず、予想を外した多くのメディアや識者にとってある種のショックだった。当選の事実を前に、彼らは今度こう語った。「トランプの過激な言説や公約は、選挙のためのものだ。いざ大統領の座についたら豹変するかもしれない。少なくとも、言っていたことを全部やらないだろう」。

 希望的観測だった。残念ながら、またまた予想に反して、トランプ氏はその公約をほとんど果たしてきたのではないか。メディアや識者、いわゆるエリートたちは、理性的に物事を考え、非常に合理性のある結論(予想)を出す。しかし、トランプ氏はこの論理的な文脈を踏まないのである。さらに、トランプ氏の言説は内実だけでなく、その表現や言葉遣いも非常に乱暴で決して格調高きものではない。この辺もエリート層の作法を踏み外している。故に、エリートたちは本能的にトランプ氏にある種の拒絶反応を起こすのである。

 にもかかわらず、トランプ氏はしっかり公約を果たしてきた。1つだけ、中国の為替操作国認定、人民元をめぐり中国と戦う姿勢を選挙公約で示してきたが、それが果たされていなかった。その代わりにトランプ氏はより大きなスケールで中国に貿易戦争を仕掛けた。選挙中の公約をこれだけ誠実にしかも、額面通りに実行する政治家は稀有な存在である。

 公約をすべて誠実に守り、果たしていくことは正しいことだ。しかし、原初的な民意を反映した公約と現実との間にはしばしばギャップが生じる。この場合はどうするかという実務問題が横たわっている。エリートたちの考えはおそらく、理性と知性に基づき、民意に修正を加えることであろう。つまり、「大統領の座についてからの豹変」という合理性が期待されていたのである。

トランプとリー・クアンユーの違い

 しかし、トランプ氏は「豹変」しなかった。愚直に公約を果たそうとしたのだった。実はトランプ氏はひそかにこう考えていたのかもしれない――。公約はとにかく守る。やってみて失敗した場合は、「申し訳ない。国民の皆さんの意思は通らなかった。私は皆さんの望む通りの事をやったけれど、残念ながら、現実は厳しい。改めなければならない」とこの調子で通す。

 つまり、民意というのは私利私欲(個益)の総和なのだ。国民に現実の「壁」を知ってもらうために、ある種の検証が欠かせないからだ。アメリカ合衆国株式会社の株主は国民だ。株主からこうやれああやれと言われても、無茶なことはできないので、社長が勝手に株主の意思を修正していいかどうか、これは非常にシビアな問題だ。

 言ってみれば、「実体」と「手続」の関係である。有言実行という「手続」を踏んでたとえその結果が「実体」の失敗であっても、それは民主主義のコストである。民主主義の本質的な価値は、「実体」にではなく、「手続」にある。

 トランプ大統領の言行はエリート層の作法を踏み外しているだけに、理解に苦しむ人が多い。ここで、トランプ氏とシンガポールの初代首相リー・クアンユー氏(故人)を比較すると分かりやすい――。

 リー・クアンユーは「シンガポール国民の皆さん、政府のエリートたちは最善を考えてやるから、みんな黙ってついてこい」という姿勢だったのに対して、トランプ氏は「アメリカ国民の皆さん、みんなの考えや意志が最悪であっても、政府はその通りにやるから、エリートたちは黙れ」といったところではないだろうか。


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