2024年11月22日(金)

日本のなかの外国を歩く

2011年10月27日

中華街に寿司屋があってもいいじゃない

 横浜中華街のメイン通りにあたる中華街大通りの入り口に立つ中華街東門(朝陽門)のすぐそばに寿司屋ができた。この寿司屋は、廉価にまぐろが食べられることを売りにした東京を中心としたチェーン店で、二十四時間営業している。異国情緒が売りの中華街に似つかわしくないチェーン店の出現に、果たして老華僑たちはどのように考えているのだろうか?

 「私は、中華街に寿司屋はありだなと思っています」と言うのは、財団法人中華会館事務局長で、広東からの華僑三世の関廣佳氏だ。中華会館とは、華僑の自治組織で、中華街の住宅・宅地・不動産・水道・下水・公園などの世話や運営を行っている他、中華義荘という中国人墓地の管理もしている。その中華会館の責任者にあたるのが関氏だ。中華街の世話役的存在である関氏は、「本来、中華街は、我々華僑が生活する場所で、今のような観光地ではありませんでした。ですから中華街にはそば屋もあればてんぷら屋、そして日本人が経営する八百屋もありました。その意味からすると、寿司屋が中華街にあってもいいんじゃないかなと私は思う」と話す。

 バブル経済に沸く中国では、日本料理はヘルシーだと人気が高い。生ものを食べないとされる中国人だが、上海の日本料理店では日本から空輸される魚をつかった寿司や刺身などのメニューに群がる。今年の築地市場の初競りで3249万円という最高値でマグロを競落としたのは、中国人であった。中華街に寿司屋が開店するのも決しておかしなことではない日がやってきたのだろう。

獅子道に生きる男

 横濱華僑總會副会長の謝賢榮氏は、最近勤務していた中華街の華僑組合が経営する駐車場を管理する仕事を辞めた。

 「獅子舞に専念するためです。獅子舞を究めるということは、到底、仕事の片手間にできるものではありません」。

 仕事を辞めた謝氏が取り組んでいるのが、中国の伝統芸である獅子舞、龍舞を、母校である「横濱中華學院」の幼稚園、保育園に通う幼児たちに指導することだ。この学校は、横浜亡命中の孫文が、華僑の子弟のために開いたという歴史と伝統を誇る学校である。

 中国の伝統技である獅子舞、龍舞は、中国本土では文化大革命以来、宗教行事だとして長年禁止されてきた。それが解禁されたのは、改革開放が始まったここ20年のことである。そのため伝統的な獅子舞、龍舞の技は中国大陸よりも、シンガポール、マレーシア、香港、台湾、そして日本の華僑によって守られ、受け継がれて来たのだという。

 謝氏の父親は、共産主義政権成立と共に香港へ逃れ、親戚がいた日本へやって来た。二世にあたる謝氏は、「横濱中華學院」卒業後、日本の大学で学ぶ。すでに帰化をして日本国籍を取得したが、日本語と中国語をこなすバイリンガルだ。新華僑や出稼ぎ中国人たちは、彼が中国人であるということに全く気がつかず、日本人だと思い込んでいるほどだ。

 彼と一緒に筆者が夜の福富町を歩くと、その路上に立つ中華バーなどの飲み屋の中国人の客引きたちは謝氏を日本人だと思ってしつこく彼の袖を引く。いくら我々が、彼が中国人であり、そのような店に行かないと中国語で説明して断っても、それを全く信用してもらえない。外見や話し方も全く日本人的な謝氏だが、獅子舞や龍舞の技を伝えることへの思いはひときわ熱く、次のように力説する。「龍舞の龍は神、獅子舞の獅子は神の使いであり、邪悪なものを駆逐して、福寿を招く『駆邪招福』を表す。そしてそれらは、礼に始まり、礼に終わる。まさに日本の武士道にも通じる『獅子道』というものです。この獅子道こそ横浜中華街に生きる華僑の精神なのです」

 大陸でもはや廃れつつある中国の伝統と文化をこの街で守り続けようという老華僑の取り組みは真剣そのものだ。


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