トランプを読み解く

2019年3月2日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

「悪」より「無」、交渉ボトムラインが乖離したワケ

 英語で「No deal is better than a bad deal」というが、悪い取引より、取引なしのほうがマシだ。悪より無、これがトランプ氏の鉄則になっている。

 単体の交渉という次元からいえば、必ずボトムラインを事前に設定しなければならない。いわゆる譲歩や妥協の最低ラインである。最近の日本人ビジネスマンは交渉に先立って、ボトムラインを上司に事前確認しないケースが多い。すると、「本日の件は持ち帰って上司と相談する」の一言で、交渉相手(外国人)に「権限を持たないやつと交渉しても仕方ない」と思われ、一気に信頼を失う。

 トランプ氏も金正恩氏もトップである以上、ボトムラインはそれぞれしかっりもっているだろう。交渉にあたってまず、両者のボトムラインの設定が前哨戦となる。

 トランプ氏はある程度の大枠をもっているが、むしろ交渉の妥結を期待しない分には、ボトムラインをそれほど重視せず、いや、ボトムラインよりも、これだけの良い条件なら妥結してやってもいいという上方線を描いていたのではないか。言いかえれば、その上方線が下方に位置すべきボトムラインを幾分も引き上げてしまったのである。

 一方で、ハノイでの米朝首脳会談を控え、米国政府がさまざまな形で楽観的な言動を見せた。金正恩氏はすっかりこれにつられて希望的観測の罠に陥ったのではないか。

 確証バイアスという概念がある。自分の好きなもの、信じていること、やりたいこと、慣れ親しんでいる価値観・世界観、希望的観測、固定観念、あるいは「自己的結論」を一括りして、現実に起こり得るものと信じ込むのである。

 見たいものだけを見て、聞きたいものだけを聞くという状況を作り出すことである。結果・結論ありきで、その「自己的結論」を裏付ける情報を選択的に選び、自分に、「これは確証できる」と言い聞かせる。逆に、その「自己的結論」に反証となるような証拠を無視したり、探そうとも見ようともしない。

 独裁者である金正恩氏は確証バイアスのかかりやすい環境にあるか定かではないが、結果的に彼もトランプ氏と同じように、下方に位置すべきボトムラインを幾分も引き上げてしまったのではないかと推測される。

 2人が持つべき「理性的な」ボトムラインはこうして過剰に「上方修正」された時点で、現実との乖離が生じ、交渉は妥結するはずもなく、早い段階で決裂する。会場のホテルから走り去る専用車の後部座席に座る金正恩氏の表情は険しかったと報じられる様子も、挫折を味わう普通の青年と何ら変わりもない。

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