順調に取引先を伸ばす企業では雇用も創出
岩手県の三陸リアス地域にある水産加工企業である「釜石ヒカリフーズ」は、震災後の2011年8月、地域雇用の受け皿となるために、地元の漁連・漁協や釜石市からの後押しを受け、地元の水産加工業従事者が独立して設立された。釜石の海産物を用いた付加価値の高い水産加工品業を興そうとしたが、新設企業は国のグループ補助金の対象とはならないなど公的支援の空白地帯となっていたため、基金ジャパンから1300万円の資金支援とアドバイザー派遣を実施した。
最先端の冷凍設備と加工技術により、岩手県釜石産のタコ、イカ、鮭、ワカメなどを主原料とした商品の加工・販売を行い、順調に売り上げは推移。各生協、JA、大手外食チェーンを始め食材の提供も拡がり、40社以上の取引先を抱える業容となり、アワビの肝ソースなど最終商品の開発も行うようになった。また国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)、高知工科大学との「冷蔵用スラリーアイス」や、岩手大学などと研究開発も行っている。
従業員が仕事と家庭を両立できるようフレックスタイム制度も導入、働きやすい環境を提供する企業として認知された結果、約30名もの雇用創出に繋がっている。今後は事業の拡大に伴い、第二工場を新設しようという動きも具体化しつつある。将来は食品加工だけでなくアンテナショップや飲食店への進出も検討の視野に入れている。
復興需要が一段落した観光産業では事業計画の見直しも
復興事業によって建設業を中心に宿泊場所の確保など、いままでになかった需要に対応しようとしていた観光産業では、新たな対応に迫られている。
宮城県の「女川町宿泊村旅館組合」は、女川トレーラーハウスとして「ホテル・エルファロ」を運営している。被災によって女川町にあった多数の宿泊施設が営業困難な状況であったため、このままでは復興の足かせになってしまうと考え、被害を受けた旅館経営者が共同で宿泊施設を立ち上げた。それが「女川トレーラーハウス宿泊村EL faro(エルファロ)」。復興に向けた女川町での宿泊施設不足の解消、その先の観光の再生に向けた段階的な運用が出来るように恒久的な建物でなく、被災地初の国産トレーラーハウスを使った宿泊施設としてスタート。基金ジャパンでは2012年末に500万円の資金支援を実施した。
その後、営業地(女川町清水)の震災による嵩上げ工事を見据えて移転を検討。休業期間を経て2017年夏にトレーラーハウスをJR女川町駅西側に移動して「ホテル・エルファロ」としてリニューアルオープン。女川町は、東日本大震災の被災地の中で最も高い被災率を受け、町のほとんどが壊滅したが、現在では復興のトップランナーと言われるほど、新しい街づくりが進み、世代やセクターの枠を超えて若者が活躍している町として知られている。
しかしながら、被災地における復興工事関連の宿泊需要はほとんどなくなりつつある中で、当初の事業計画通りには推移しない状況。それでも、リニューアルを機に、ハイシーズンにおける観光需要は伸び続けており、今後はリピーターの口コミから拡がる地域拠点として、女川町を起点とした石巻市広域の魅力ある場所や食べ物などを発信、ホテルコンセプトである「アウトドア・リビング」を昇華させていこうとしている。またインバウンドにも対応を図るなどしている。
同じく宮城県石巻市でゲストハウスとレストラン経営を行う「NPO法人オン・ザ・ロード」。復興ボランティアとして泥だし・ガレキ撤去を担当してきた石巻市渡波地区で地元の方々や仲間達と共に、「津波が入ったこの場所を、人が溢れ、笑顔が溢れる場所にしていきたい!」と模索して、地域再生の象徴となるような復興複合施設を計画した。基金ジャパンでは2014年夏にゲストハウス建設資金の一部として1000万円の資金支援を行った。
それらを基に「ロングビーチハウス」がオープン。通常営業の他にも定期的にイベント開催したり、イベントスペースとして活用したりと、地元の方々に親しまれる場所として、県外からのゲストハウス宿泊者とレストランに食事に来た地元のお客様が交流できる場所として、料理教室や牡鹿半島での定置網漁体験なども実施して沢山の出会いが生まれている。
スタートして4年が経ったが、当初計画では黒字化する目算であったが、その時期はずれ込み、想定通りの売り上げにはなっていないが、特にレストラン事業に注力して事業を展開、単月黒字を計上する月も出てきている。