「日本の伝統を次世代につなぎたい」という想いで、各地の伝統工芸の職人さんたちと一緒にオリジナル商品を生み出す矢島里佳さんが、日々の暮らしを豊かにする道具を紹介しつつ、忘れられがちな日本文化の魅力を発信していきます。
昭和時代とは異なり、平成そして令和では、料理=女性の役割という方程式はもう古くなってきている。何十年もかけて、男女の平等とはというトピックは常に話題になり続け、昨今は、炊事洗濯家事ができない“男性”は結婚できないとまで言われる時代になった。
私の周りの友人たちや、社員の旦那さんたちを見ていても、料理が上手で料理自体を好きな男性が多いと感じる。凝り性な人も多く、好きな料理の話から始まり、料理好き男子の談義は、「あのブランドのお鍋は機能的で且つデザインもかっこいい」、「真空調理の器具をセットで買った」など、調理器具へのこだわりへ移っていく。
しかしながら、ふと気がついたのが、お玉、フライ返しなどの、料理をすくったり、ひっくりかえしたりする調理器具へのこだわりの話はあまり聞かないのだ。「おたまは、刳物(くりもの)が味があっていいよねー」と話すと、「え? 刳物って何? そういえば、お玉ってあんまりこだわったことなかった」という具合だ。
そこで改めて自覚したのだが、フライパンやお鍋などへのこだわりよりも、どうも私は、お玉、フライ返しなどの調理器具への、強いこだわりを持っていたようなのだ。
私が “木製”の調理器具を選ぶ2つの理由
一般的なイメージだと、おたま、フライ返しなどは、金属や柔らかいゴム系素材がよく使われていると思うのだが、我が家の調理器具たちを改めて見てみると、全部“木”でできていることに気がついた。なぜ無意識に木でできたものを求めていたのかと考えてみると、おおきく2つの理由が思いついた。
1つ目は機能面で、金属が擦れる音が大の苦手なのだ。体から力が抜ける……。木だと擦れる音がしないので、気にせず料理をできる。
2つ目はとても感覚的だが、手馴染みが良いからだ。人間の身体感覚は面白いし繊細だと感じるのだが、やはり無意識のうちに自然素材のものを求めている。特に料理は毎日のことでもあり、そして手をよく使う。握っていて、持っていて、心地よいものを私の手が自然と求めた結果、我が家は木の調理器具だらけになっていたのだ。
余談だが、今この連載の原稿もノートパソコンで書いているが、キーボードのタッチの感覚はあまり心地よいものではない。長い間パソコン仕事をしていると、指先に違和感を覚え、自然素材のものを何か握りたくなるのだ。指先の感覚はとても鋭い。木のキーボードなども販売されているのもなんだか納得。
ということで、暮らしを豊かにする木の調理器具にはどんなものがあるのか、今日は我が家のエースたちを紹介したい。
私が20歳の頃、初めて買った木の調理器具第1号。
刳物のお玉と出逢った時の感想は、「絵本で、くまの親子がスープを作るお玉だ!」だった。このお玉から、ほっこりとした温かみを感じたのだ。
木は軽いので鍋に沈まないことから、「浮上お玉」とも言われている。拭き漆で塗装されたこのお玉と出会ってから、ずっと使い続けている。