2023年1月30日(月)

明治の反知性主義が見た中国

2019年5月11日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

「眼前の利害」に迷いやすい日本人

 ここで一転して若者は、中国における欧米列強の策動に目を向ける。

 たとえばアヘン戦争の結果に基づき対外開放された上海における「英國の雄圖は實に驚くべきもので盛んに其の勢力の扶殖に從事した」。世界史から見ても「侵略的野心を持つて又成功したものは他にあるまい」といえるイギリスは、中国に対しても同じである。「最近長江貿易上に列國の勢力が入つて競爭が烈しくなるや英國は更に富源開拓の鐵道に投資し」、「長江を中心とする鐵道網の殆どすべてに英國の資本が入つてゐる」。「こんな具合で支那の鐵道と英國とは、最も緊密な關係になつてゐるが、英國の野心はいつも中々根深い」。

 ドイツについては、大冶鉄鉱山における「暗中飛躍」を指摘する。

 清朝末期における近代化を進めた高官の1人である張之洞は長江中流域を管轄する湖広総督在任時、古書から管轄区域内の湖北省大冶県一帯に鉄鉱床ありと睨んだ。そこで「一八九〇年獨逸技師ライノンを聘して、實地踏査をなさしめた」ところ、古書は正しかった。「ライノンは三旬の探査の後、古代製鐵の遺跡を發見し、次いで世界に有名なる本鐵山の發見するに至つた」が、彼は「單なる支那の忠實なる一傭技師に甘んぜんや、我が本國への忠義立ては此時と、張之洞へは知らぬ顔の半兵衛をきめこんで、裏面では早速北京の獨逸公使を通じて本國政府に密電を發し、利權の獲得を慫慂した」。ドイツ政府は直ちに在北京公使に訓令し、一帯の採掘権と鉄道敷設権を「支那政府に要求せしめた」というのだ。

 「當時獨逸のやり方が如何に狡猾であつたかは、大冶に行つたものは、素人でも直ぐ氣付く程」だ。それというのも「殊更鐵路を迂回せしめて、距離を延長し」、なんとかして「機械材料などを少しでも多く買はせやうかとする根膽だつた」からである。

 ここで注目すべきは、大冶鉄鉱山の日本人技師が同地の将来性を見抜いて鉱山開発を進言したにもかかわらず、日本側官民が躊躇逡巡して無為無策に時を過ごしてしまったことだ。かくて若者は、大冶鉄鉱山での日本の失敗をイギリス(上海と長江流域)とドイツ(大冶鉄鉱山)の成功に比較し、将来を見据えることなく「眼前の利害に迷ひ易い日本人の大に學ぶべき事ではあるまいか」と批判した。

 こう見ると「歐米某國の悪辣煽動教唆」という指摘は、「眼前の利害に迷ひ易い日本人」の“逃げ口上”とも思えてくる。

「反日感情」を生む中国人への侮蔑

 若者は「排日の本場」でもあった天津における経験を綴る。

 「排日の思想が第一に具体化して現はれるのは排日貨であり、隨つて排日貨が貿易港で熾に行はれ、特に日本の物資を多額に輸入し、日本と経済上最も密接な関係ある港にしては当然である」。そこで南の上海と並んで北の天津が「常に排日及排日貨の本場となるのは已むを得ない」。加えて「上海天津辺の支那学生は、その良否は兎に角、他都市に比して所謂新思想に触れるものが多い上に、米国から帰朝した留学生等はReturned student associationを設けて団結し、盛んに親米を唱へ」ている。加えて「裏面には之を操る糸があるのであるから、其の排日運動及宣伝に、根底に持久力あるを確知することが出来る」。

 いわば一連の反日運動の背後には、親米派留学生を介してのアメリカの工作が見え隠れするというのだ。ならば「我国に於ても之を永く現状に放任することなく速に対抗策を講じなければ後日に悔を残すであろうと思われる」。だが、その後の推移を見るに、やはり日本は「速に対抗策を講じ」なかったのだろう。

 若者は在天津日本総領事館で招待宴に列する。席上、船津総領事は「支那人は『支那人』と呼ばるゝことを非常に嫌ふと云ふことを近頃漸やく知るに至つた。それが、何故かは知らぬが、丁度日本人が『ジヤツプ』、米國人が『ヤンキー』と云はれる樣に、侮辱の代名詞に聞えて、非常に惡感を催ふすそうだから、我々は中國人、又は支那の人と呼ぶことにして居る」と語った。ということは、当時、「支那人は『支那人』と呼ばるゝことを非常に嫌ふと云ふこと」に気づき、「中國人、又は支那の人と呼ぶ」日本人がいたことになる。

 「一寸したことだが大に注意する必要がある」と結ばれた船津の挨拶に、若者は次のような感想を持った。

 「これは僕も初耳だ。しかも我が内地の状態を見ると、『支那人』どころか、大抵は『チャンコロ』『チャンチャン』の此上ない侮辱的な言葉で、彼等を迎へる者が多い。之れは日清戰爭などの結果として、國内に廣まり、今に及んで居るのであらうが、此一語が如何に日支親善を害して居るかを考ふる時、吾人は大に言葉を愼まなければならぬ。口は禍の門と云ふが如斯言葉を發する日本人は、大抵は中國人輕蔑の心裡を抱いて居る」。だから日本人と「接する中國人、殊に敎育ある支那留學生の如きは極端に不快の念を植えつけられ、幾度かその言動を繰返さるゝ時は、遂には日本の凡てを嫌厭するに至り歸國の後は排日派の先鋒と化するに至るのは當然である」とした。そして最後に「僕は一人でも多くの國民が此點に注意せんことを望んでやまぬ」と呟く。


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