2024年11月25日(月)

明治の反知性主義が見た中国

2019年5月11日

中国共産党独裁の基盤となった「二つの伝統」

 大正の若者の旅行から1世紀が過ぎた今日、中国は中華民国から中華人民共和国に代わり、その中華人民共和国は建国から30年ほど続いた毛沢東時代の毛沢東思想絶対で政治至上・対外閉鎖体制を脱し、共産党独裁権力による対外開放・市場経済至上の道を驀進し、「中華民族の偉大なる復興」を掲げ、やがてはアメリカに代わろうと世界覇権を虎視眈々と狙っている。中華人民共和国は大変身した。だが、共産党独裁体制は牢固として変わらない。

 毛沢東時代、「打倒アメリカ帝国主義」「打倒ソ連社会帝国主義」「日本軍国主義の復活を許すな」など凄まじくも勇ましいスローガンを叫ぼうが、それが国際社会を大きく動揺させるようなことはなかった。彼らこそ“張り子のトラ”でしかなかったからだ。だが“上げ底”であれ、現在の国際社会における中華人民共和国の影響力は増大の一途である。

 共産党政権は五・四運動のもう一方の側面である反伝統(反儒教)を掲げた新文化運動を高く評価する。それというのも「中国には『徳先生』も『賽先生』もいない」という考えを掲げた新文化運動が、2年後の1921年の共産党結党へと繋がったと見做すからだ。

 「徳先生」とは徳莫拉西(デモクラシー)を、「賽先生」とは「賽因斯(サイエンス)」を指す。古来、中国社会を縛りつけて来た儒教を基本とする封建伝統思想には民主も科学もない。一切の批判を封じ込めることで成り立つ封建伝統思想から脱し、民主と科学を取り入れないかぎり中国に未来はない、という考えだ。

 「五・四運動が進めた文化革命は徹底して封建文化に反対する運動であり、中国の歴史始まって以来、このように偉大で徹底した文化革命はなかった」「思想と運動の担い手の両面から、1921年の中国共産党成立を準備した」という五・四運動に対する毛沢東の評価は、現在も堅持されている。

 だが五・四運動から70年が過ぎた1989年6月、共産党政権にとって“不都合な真実”が露呈してしまう。天安門広場に「中国には『徳先生』も『賽先生』もいない」という五・四運動当時のスローガンが掲げられ、共産党独裁反対の声が沸き上がったのだ。いわば民主も科学的思考も否定して独裁を続ける共産党は、五・四運動が立ち向かった封建王朝体制と同じではないか、という鋭い批判である。この動きを共産党政権は力づくで封殺した。

 毛沢東の秘書を長期に亘って務める一方、現代中国の民主改革派の代表的存在として知られる李鋭(1917年~2019年)は「中国の問題」について、「中国は一個のいかなる民主の伝統も持たない国家で、自然科学の伝統を持たない国家であり、西方とはちがう。西方はギリシャ、ローマから始まって、民主の伝統を持ち、自然科学の伝統も持つ。中国の歴史にはこの二つの伝統がなく、あるのは皇帝と孔夫子の伝統で、のちに共産党はこの二つの伝統をいっそうきびしく結びつけた」と語り、皇帝と孔夫子(孔子=儒教)の「二つの伝統」が共産党独裁の基盤であると鋭く批判する。

「100年前の反日運動」から考える日中関係の未来

 4月30日、北京の人民大会堂で行われた五・四運動百周年記念大会に臨んだ習近平主席は、「五・四運動は愛国、進歩、民主、科学の精神を育んだが、核心は愛国主義だ」「愛国主義の本質は国と共産党を愛することにある」と語り、若者に党の指導に従うことを求めた。どうやら習近平一強体制は李鋭の糾弾など歯牙にもかけず、「皇帝と孔夫子の」「二つの伝統をいっそうきびしく結びつけ」ながら、「愛国」の2文字を掲げ、「超英趕美」の道を驀進するに違いない。

 100年前の「皇帝と孔夫子」の全面否定から誕生したと自認する共産党が、100年後には「皇帝と孔夫子」を「いっそうきびしく結びつけ」ることで世界覇権を目指す。この自己矛盾が破綻しないわけはないと思うのだが。

 100年前の反日運動が一方では現在に続く日本の対中姿勢の欠陥を、一方では中国における権力の矛盾を鋭く衝く。であればこそ歴史的視点に立ち、日中双方の内部に潜む未来への障害を突き詰める作業が、今こそ必要ではなかろうか。

*:「超英趕美」は1958年の大躍進政策の際に掲げられたスローガン。鉄鋼生産が経済力の尺度と考えていたとされる毛沢東は、当時鉄鋼生産世界第2位の英国を追い抜き、第一位の美(アメリカ)に追いつき、追い越すことを夢見ていた。

**:引用等は東京高等商業學校東亞倶樂部『中華三千哩』(大阪屋號書店 大正9年)、『《学点歴史》叢書 毛主席的五篇哲学著作中的歴史事件和人物簡介』(人民出版社 1972年)、金沖及『二十世紀中国史綱[第一巻]』(社会科学文献出版社 2009年)、李鋭『中国民主改革派の主張 中国共産党私史』(小島晋治[編訳]岩波現代文庫 2013年)に依った。

  
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