2023年1月30日(月)

明治の反知性主義が見た中国

2019年5月11日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

日清戦争が残した根深い「禍根」

 若者の1人は、反日という心情の淵源を考える。

 日清戦争は已むをえぬことではあったが、「兩國親善の爲めには何れほどの邪魔になつたか知れぬ」。それというのも敗者は勝者への復仇を誓い、勝者は敗者を軽んじ続けたからだ。

 日清戦争後、両国の発展は違い過ぎたから、「日本人が彼等を馬鹿にするのも無理はない」。先進国の日本を学ぼうと「支那の留學生が澤山日本に來る」。バカにされる「不快を忍んで規定の年限だけ勉強するのだらう。日本人と取引する支那人もたゞ物質的打算の爲め他に一切を我慢するだらう」。だが、「我々は永遠の國家なる立場に着眼して、もう一廻り度量を大きくして彼等を完全に抱擁したいものだ、抱擁できないまでも彼等のいやがる事はやめてやりたい」。つまり少なくともバカにすることは止めようということだろう。

 日本及び日本人に対し「一般支那人の胸に根深い怨みがつまれた」が、「弱國の悲哀は、この鬱憤を晴らすべき機會」を持たなかった。そこに起こったのが「山東問題」――1915年の大隈内閣による「二十一カ条要求」――であり、これを「導火線として果然學生の排日運動が開始された」のである。しかも、その中核は日本への留学生だったというのだ。

 「一度米國へ留學したる支那學生が非常の感謝と思慕とを形見として歸るに同じ支那學生が我國に留學するや憤悶と反感を抱いて故國に歸ると云ふのは一體何したことだらう」。

 日本滞在中、「下宿や學校で甚だ冷遇」され、「路上の子供にまで嘲笑される」。ならば「如何に支那人とは云へ(中略)無神經、無感覚で居れやう筈がない」。彼ら留学生は「やがて支那共和國の各方面に於て首腦の斑に列すべき有用の材」である。たしかに「眠れる大國と人は云ふ、併し現在の支那は昔の支那ではない」。現在の学生は「歐米の新空氣を呼吸し、今や自由の鐘に覺醒の響きを撞き送る」。彼らの持つ大きな影響力を侮るべきではない。

 かくして反日は慢性化するばかりか、「今や政爭の具に供され野心家の餌に使はれるやうになつ」てしまった。「排日を稱する學生はやがて支那の政府實業を繼承する」。「同時に年々殖えゆく幾千萬の學生」が反日感情を抱くことになれば、その結果は明らかだ。反日運動で我が国が被る被害が多大であることは否定のしようがない。たとえば運動勃発以前は船腹不足であった海運業界など、取引は「今は一轉して僅に其四分の一」といった窮状だ。

 ヴェルサイユ講和会議が日本の要求を認める方向で進むや、学生らは中国(中華民国)から参加した「講和委員の應援を兼て親日黨排除の烽火を揚げ、先づ國賊を排除せよ、と絶叫し」、政府部内の親日派閣僚を襲撃した。「然して其目的を達するや餘勢を驅つて排日の聲を揚げた」。だが過去の失敗から直接日本人の生命財産に手を付けるのではなく、「日貨排斥を叫ぶやうになつた」。外交問題にまで発展しないよう彼らの行動は自己規制され極端に奔ることはないなどという意見もあるが、「勿買東洋貨」「泣告同胞抵制日貨」「抵制日貨」などの勇ましいスローガンを掲げる日貨排斥運動は、じつは「可愛想な弱者の呪ひの叫びだと思ふ」。

 日貨排斥運動がエスカレートして「經濟方面から日本を排斥しやうと云ふ考え」が生まれていることであり、こういう動きを等閑視するわけにはいかない――若者は当時の五・四運動における反日の動きを、こう受け取っている。


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