2024年5月18日(土)

Wedge創刊30周年記念インタビュー・新時代に挑む30人

2019年6月3日

 現在、日本には宗門の定めた修行を修めた僧侶が30万人ほどいるが、塩沼師は数多の仏道修行満行者の中でも、もっとも厳しい行を達成したと言い切ってよい。さらに師は千日回峰行満行の翌年、「四無行」に入る。四無行は9日間、「食べず、飲まず、寝ず、横にならず」という状態を保ち、不動明王と蔵王権現の真言を唱え続ける修行だ。塩沼師は仏道を究めた、現代の聖である。

 しかし、何のために? 塩沼師は、千日回峰行を達成することは「もっと先の夢」を叶えるための手段であり、目的ではなかったと断言する。

護摩木が次々と投じられると、炎が昇龍のように立ち上がる。慈眼寺では護摩祈祷を毎月2回実施している (写真・湯澤 毅)

 「私は10代の頃、とても貧乏で、いろんな方にお世話になったのです。そのご恩返しがしたいと強く願っていたところ、比叡山で千日回峰行をされている酒井雄哉さんを知った。そして、私も行者になって、お世話になった方々や多くの人の幸福を祈りたいと考え始めました。高校卒業後、出家・得度し、千日回峰行に入るのですが、当時から行の達成自体が私の最終目標ではなかった。私の夢とは、田舎にお寺をたてて、自給自足の生活をしながら、より良い生き方を提案するお坊さんになること。そして、いずれ世界を回ってコミュニケーションを取りながら、世界の誰もが争いなどせずに仲良くなれるような活動をしたいということです」

 だからこそ、手を抜かず、一日一日の行を真剣に取り組んだ。満行日の1000日目も、いつものように山にでて、いつもと同じように戻ってきた。そこに特別な感情は湧き上がってこなかったという。

 「私は千日回峰行をやり切ったことで、揺るぎない自信を得たことは確かです。しかし、修行とは奥が深い。行を終えても、さらにその先があります。昨日より今日、今日より明日、より大きな器になっていたいと願って今でも修行し続けています。ですから、まだまだ見習いの小僧であり、成長途上だと思っています」

 修行とは僧侶の世界のことだけではない。人は生まれてから死ぬまでが修行なのだ。かの徳川家康も遺訓で、「人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くが如し」と説いている。「人生という修行」はいったい、いかにあるべきか、を師に問うた。

 「『慎独』という言葉があります。周りに人がいないひとりの時にこそ、より規則正しく礼儀正しい行動をし、自分を律することを言います。たとえば多くの人はONとOFFを分けて生活しているかもしれませんね。しかし、だらけた心をどこかに持っていると、ついついそれが表に出てしまうもの。常に自分を律していれば、ON/OFFの切り替えをする必要はありません」

 「慎独」を実践する上で、日頃、「ありがとう(=感謝)」「ごめんなさい(=懺悔)」「はい(=敬意)」の気持ちを持ち続けることが大事だという。簡単なようだが、これが殊の外、難しい。しかし、この3つが実践できる人とそうではない人では、人生の質が180度違ってくるという。

 「そのコツは、日ごろのイラッとしたりムッとしたりする心の針の振れを、すぐに元に戻すことです。この振れをそのまま放っておくと増幅し、恨みや、憎しみとなっていきます。最悪、犯罪行為にも繋がってしまいます。イラッとしたその瞬間に、すぐに針を元に戻す。すると、自然に『感謝』や『懺悔』の気持ちが湧いてくるものです。これを心がけてほしい」


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