4番からの降格通告
当時の広島は1998年以降、7年連続でBクラスに低迷していた暗黒時代だ。チームが敗走を続ける中、新井自身も打率2割台前半にあえぎ、いつしか「試合に出ることが怖くなった」という。
7月のある日の試合前、そんな新井を見かねた山本監督に、旧広島市民球場の監督室へ呼ばれ、こう聞かれた。
「新井、苦しいか」
「苦しいです」
「わしには、その気持ちはようわかる。わしにも、そういうときがあったから」
その言葉が、新井の心中を思いやった山本なりの、4番からの降格通告だった。いや、降格というより〝免除通告〟と言うべきか。
山本にそう言われた途端、新井の目からどっと涙が溢れた。その日を境に4番は外国人のアンディ・シーツに交代。このシーツが好成績を挙げ、2年後の05年に阪神に移籍し、金本とクリーンアップを組むことになったのは皮肉なてんまつだったが。
そうした自分の辛い経験を踏まえて、新井は鈴木にこう言って聞かせた。
「4番はとにかく我慢だ。どんなに腹の立つことがあっても、愚痴や弱音を吐きたくても、我慢するしかない。誠也が思ってるよりも、周りの人間はいつもおまえのことを見てる。だから、動揺したり、ふて腐れたりしているところを、絶対に見せちゃいけない。ふだんからちゃんとした態度でいることだ」
のちに4番で堂々たる実績を築いてからの新井は、いつも超然とした雰囲気を漂わせていた。試合中にアウトカウントを間違えたり、ヒーローインタビューでかんでしまったり、再三のチョンボでファンを笑わせながらも、決してうろたえた様子を見せなかった。
新井の前の4番・金本は球界きっての強面で鳴らし、その前の江藤はポーカーフェイスで相手に表情を読ませなかった。彼ら歴代4番の頂点にいるのは、もちろん永久欠番の背番号8を背負った山本浩二。そうした4番の先輩たちは「ふだんからちゃんとした態度」を貫いていた。
鈴木が4番に定着したばかりのころ、解説の仕事でマツダスタジアムにやってきた山本が、自らグリップを示して打撃指導している場面を見たことがある。
「ええか、こうや、こう。すぐにはわからんかもしれんが、時間をかけて覚えていったらええ」
山本の具体的な助言の中身は、レベルが高過ぎて、とても私のような素人には理解できない。ただ、鈴木はすぐに大切なポイントを掴んだのか、その日の試合でしっかりヒットを打った。こうして先輩たちから〝かくあるべきカープの4番像〟を受け継いで、いまの鈴木がいる。その鈴木が三冠王となって新たな4番像を作り上げることがきるか、ファンとともに注視していきたい。
(文中敬称略)
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