少々気の早い話ではあるが、広島カープ・鈴木誠也に三冠王の期待が高まっている。5月は打率、打点でセ・リーグ首位をひた走り、本塁打で巨人・坂本勇人と激しいトップ争いを展開した。三冠王となればプロ野球史上8人目、戦後及び2リーグ制移行後では7人目。球界で2004年のダイエー(現ソフトバンク)・松中信彦以来15年ぶり、広島では球団史上初という歴史的快挙となる。
ちなみに、広島で本塁打と打点の二冠王となった選手なら、過去に2人いた。山本浩二が1980年(44本塁打、112打点)と81年(43本塁打、103打点)、江藤智が1995年(39本塁打、106打点)に達成。鈴木はそうした先輩たちを超える可能性を持っているわけで、ファンやマスコミの間では早くもこんな言葉が流行り始めた。
「いまの誠也は〝神ってる〟どころか、〝神そのもの〟じゃ」
25年ぶりにリーグ優勝を果たした2016年、緒方孝市監督は6月に2試合連続サヨナラ本塁打を放った鈴木を「神ってる」と絶賛。「神がかっている」という言葉を緒方監督が今風にアレンジしたこのフレーズは、16年の流行語大賞にも選ばれた。
しかし、当の鈴木はその後、「いくら打っても〝神ってる〟と言われるので、まぐれと見られているようで嫌だった」と本音を明かしている。昨年までそんな葛藤を抱えていた鈴木を、同じベンチで何度も励まし、貴重な助言を与え続けた4番の先輩がいる。そう、昨年限りで惜しまれながら引退した新井貴浩だ。
新井は15年に阪神から広島に復帰し、翌16年には4番を任されて優勝に貢献、MVPを獲得した。続く17年も主砲として期待されながら、シーズン序盤から4番を鈴木に譲り、自分は下位の打順や代打の切り札として起用されることが多くなる。新井によると、鈴木はこのころ、試合中でもそうでないときでも、よくアドバイスを求めてきたそうだ。
「得点圏にランナーがいるとき、新井さんはどんな感じで打席に入ってますか」
「センター返しをイメージしてるよ。ホームランよりセンター方向へ打ち返すことが大事だな。確実に点を取るためにはね」
「ああ、やっぱりそうですか」
そう言ってうなずいた鈴木を見て、こいつにも4番としての自覚が出てきたな、と新井は思ったという。主に5、6番を打っていた16年までの鈴木は、新井の見る限り、野球を楽しみ、自分の好きなように打っている印象が強かった。
走者が出てチャンスが広がると、ベンチで「おれに回ってこい、おれが決めてやる」と目を輝かせ、腕をムズムズさせながら打順を待つ。そして、いざ自分に打席が回ってくると、自分の打ちたい球をスタンドへ運ぶことしか考えない。そんな鈴木を評して、「誠也の打撃はまだまだ自分勝手だな」という先輩やコーチも、実はいたのである。当時、新井はこう言っていた。
「5番、6番を打っていたころは、それでも周りに許してもらえたんです。〝思い切って打ってこい〟とベンチから送り出され、凡退しても〝ああ、誠也らしいな〟で済まされていた。でも、4番になって、そういう誠也に対する見方がガラッと変わった。〝ランナーを返せ、きっちり点を取ってくれよ〟という雰囲気になって、凡退してベンチに帰ったら〝何やってんだ〟という目で見られるようになった。それこそ、誠也は試合に出ることが怖くなったんじゃないですか」
その「怖さ」は、かつて初めて4番に抜擢された新井自身が経験した感情でもあった。兄貴分と慕う金本知憲が阪神へFA移籍した03年、5年目で26歳だった新井は開幕から4番に起用される。決断した監督は、1975年初優勝時の主砲にして4番の大先輩、「ミスター赤ヘル」と異名を取った山本浩二だった。