同時に村民側は、自主選挙で選んだ13人の代表から成る自治組織「臨時理事会」を発足。しかし当局は自治組織を「不法」と認定し、代表5人を拘束。うち1人が死亡したが、当局が死因を「心臓病」と発表すると、「拷問死」と反発を強めた村民の抗議は激化した。村民はバリケードで村を封鎖し、1989年6月に軍部隊が民主化運動を弾圧する直前の天安門広場のような緊迫した様相を呈した。
広東省トップ・汪洋の決断
多くの人が、当局は「力」による安定維持を徹底させるだろうと予想したが、汪洋は12月下旬、腐敗を取り締まる党中央規律検査委員も兼務する広東省の朱明国党委副書記を村に派遣した。
汪はこう語り、烏坎村の村民に理解を示し、理事会を「合法組織」と認める異例の決定を下した。「烏坎事件の発生は偶然ではなく必然だ。経済発展の中で積もり積もった矛盾を長期間ないがしろにした結果だ」。
12月22日付の党機関紙・人民日報までも烏坎事件に関して党幹部にこう求めた。
「民衆に対する“敵対思考”を捨て、民衆の利益に関する問題を解決することこそが指導能力の試金石だ」
烏坎事件 問題の根源は村指導者にある
烏坎事件では「村民の合理的な利益を無視したため、理性的な陳情が過激な行動に発展したのだ」として問題の根源は村指導者にあると断罪したのだ。
さらに党中央政法委機関紙・法制日報。同紙は12月27日で、烏坎事件について「権力掌握者の権力を(民衆の)権利に回帰せよ」と題した論評を掲載した。
機関紙が外部向けに開明的な見解を提示しても、その機関の本音は限らないことは多いが、社会安定最優先を標榜する政法委の機関紙が、次のような論調を明確にしたことに筆者は驚きを隠せなかった。
「烏坎村の案件は、われわれ新時代の政権を握る中国共産党と各レベルの党委員会、政府に多くの啓示を与えた」
「(改革・開放以来)32年間で、われわれは多くの経済体制改革の特区を持ったが、政治体制改革の特区は一つもない」
「権力掌握者の権力は民衆の権利に回帰すべきだ。民主選挙、弾劾による(幹部)罷免は権力を権利に回帰するために最も良い方法だ」
多くの改革派知識人がこぞって烏坎村の事件に注目するのはなぜだろうか。それは、底層の民衆からわき起こる官への不満が、省・中央といった高いレベルの関心を呼び、その結果として高層指導者が直接指示し、制度面の変革までも引き起こす「モデル」になるのでは、期待しているからである。
「烏坎モデル」という言葉も登場しているが、前出・法制日報も「この案件の中に、私は民衆が要求する利益問題を処理する比較的良い一つのモデルが表れていると感じる」と指摘しているのだ。