名門校、未来への学び

2019年7月5日

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鈴木隆祐 (すずき・りゅうすけ)

ジャーナリスト

1966年長野県生まれ。法政大学文学部在学中より出版社で雑誌編集を始め、その後フリーに。著書に『名門高校人脈』(光文社新書)、『名門高校 青春グルメ』(辰巳出版)ほか。

自由ほど怖い制約はない 

 しかし、最後には単位が取れなくなると焦る。そこまで言われないと気づかないんですね。そうやって自己責任を意識させる。自由ほど怖い制約はないですよ。卒論提出しないまま、スキーに来ちゃったヤツがいてね。先生が石打丸山のスキー場まで電話をかけてくるんです。このままだと卒業できないぞって。そいつも切羽詰まって、僕の父親に代筆を頼んできて…(笑)。父は社会科学系がけっこう得意だったんです」

 もともとはそのまま都立大に進んで弁護士を目指そうと考えていた向谷さん。3年で選択となる社会科学系2科目とも取り、近代経済学・マルクス経済学のどちらも学んだという。

 「『資本論』を全部読ませられるんです。今も自分でも働きながらの経営だから、経営者と労組委員長が一緒になっているようなもの。会社がここまでになったのにも、その時の勉強が役立ってますね。

 創業34年、実は売上げの大半がシミュレーターです。年間何10台も作って、海外にも販売している。アルバイト契約を含めスタッフも100人に及びますが、いくらIT時代でも、オペレーションは人間に帰属するので…。

 音楽は4歳半からオルガンを、5歳からピアノを始め、中学入学後はエレクトーンを習ってました。地区のコンクールでも入賞し、ヤマハ音楽振興会のジュニア演奏研究会の1期生にも選ばれました。ただ高校時代、後のようなバンド活動は特にしてませんでしたね。

 エレクトーンはもっぱらアルバイトの糧でした。楽器店なんかでデモンストレーション演奏をするんです。学校では、2年の文化祭だったと思うけど、自宅からエレクトーンを持ち込み、外の階段で演奏し、大勢集まったのは覚えてますね。先生も見ていた。ロックはうるさくて、高校時代はまだ苦手でした。大体、ロックやジャズは不良の音楽だと思ってたから(笑)。そういえば、オフコースのコピーバンドには参加しましたね。

 入学時はディープ・パープルなどのハードロックの全盛期で、みんな♪ジャッジャッジャーンと、必ず『スモーク・オン・ザ・ウォーター』なんか弾いてたもんだけど、僕はフランシス・レイやバート・バカラックなどの映画音楽を聴いていましたね。ビートルズよりモンキーズ派で、アルバムも持ってましたよ。プログレで言うと、ELP(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)は好きでした。それもキース・エマーソンというキーボーディストがいたからで、パープルにもジョン・ロードがいたんだけど、ちょっとプレイが雑な感じで、あまり好きになれなかった。

 まぁ、男の子だからいろんなことをしたい。部活も体育会で汗をかいていました。中学でもやっていた卓球です。部長にもなったんですが、夏の合宿にはOBもいっぱい来るんですよ。新入部員の獲得が上手く行かずに、そこでものすごい吊るし上げを食っちゃって…。諏訪湖1周マラソンなんていうのもやらされる。駒沢公園が近いんで、そこの街路灯の間、100mぐらいを全力ダッシュ何本もしたりとか、ともかく絞られましたねぇ(笑)」

 文武両道の精神は桜修館となっても変わらぬようだが、向谷さんの華麗なキーボードプレイと卓球がすぐには結びつかない。しかし、音楽活動も体力勝負の面はあるだろう。

 「在学中、音楽の成績もよかったですよ。でも、他の科目の成績はどんどん下降線を辿る一方。そこでいちおう浪人はして、都立大を目指したんです。ところが、代々木ゼミナールの入学式を日本武道館でやると、意欲を持って地方から来る浪人生の集中した勉強ぶりに最初から圧倒され、これは彼らに勝てるわけがないと思いましたね。正直、また落ちる予感がしました。

 実際、勉強にまったく身が入らず、ますます学力は低下し、まぁ、名前を出すのは控えますけど、格下の学校ではという変なプライドもあったし…。そんな時、3年間担任だった久野猛先生に、『お前、普通の大学行くより、音楽の勉強をしろよ』と言われたのは大きかった。 先生は東大の理学部出で、後に日比谷校長の校長にまで出世し、本(『愉快に日比谷高校』)も出してます。

 そして結局は、当時東京に移転したばかりの、ネム音楽院、今のヤマハ音楽院のエレクトーン科に進みました。そこは非常に実験的な学校で、入試も芸大クラスの問題が出るんですよ。(さだまさしとのコラボで知られる、音楽監督の)倉田信雄君はピアノ科にいました」

 ネム学院は創設当初、ヤマハの威信をかけ、かなりのスパルタ教育をしていたようだが、そこでメキメキと頭角を現した向谷さん。カシオペアの母体となるバンドもその頃に結成した。曰く「人生で一番勉強をした時期」だったのだが、自由で大らかな高校で過ごすことで、その地金を作れたのは、やはり重要だったと振り返る。

 「久野先生は音楽に詳しいわけでもなく、後で確認すると、音楽の道に進むようアドバイスしたのも、ほぼ直感だと言うんだけど、僕自身も音楽家としてどの程度かなんて、その時はわからないわけですよ。まぁ、今になれば、友人たちも『突出してた』とか『光ってた』とか言ってはくれるんですけど…(笑)。

 あれだけハチャメチャしていたので、あの時の生徒は今、みんなまともですね。年1回で同窓会もしますが、すでにリタイア組もけっこういる。そのおかげかコンサートにも最近はよく来てくれるんですよ」

 いつまでもエネルギッシュな向谷さんのこと、第一線を引退した同窓生にも大いなる刺激、励みとなっているだろう。

【向谷実プロフィール】
むかいや・みのる 株式会社音楽館代表取締役。1956年生まれ。東京都立大学附属高等学校(現・東京都立桜修館中等教育学校)卒業。1979年、バンド「カシオペア」のメンバーとしてデビュー。日本のフュージョンを代表するグループとして国内外で活躍。ヨーロッパ、東南アジア、アメリカを中心に数多くのライブ、ジャズフェスに出演し多くのファンを持つ。熱狂的な鉄道ファンでもあったことから鉄道乗務員訓練用シミュレータの開発・制作を手がける。

日本を代表する名門高校はイノベーションの最高のサンプルだ。伝統をバネにして絶えず再生を繰り返している。1世紀にも及ぶ蓄積された教えと学びのスキル、課外活動から生ずるエンパワーメント、校外にも構築される文化資本、なにより輩出する人材の豊富さ…。本物の名門はステータスに奢らず、それらすべてを肥やしに邁進を続ける。

 学校とは単に生徒の学力を担保する場ではない。どうして名門と称される学校は逸材を輩出し続けるのか? Wedge本誌では、連載「名門校、未来への学び」において、名門高校の現在の姿に密着し、その魅力・実力を立体的に伝えている。このコーナーでは、毎回登場校のOB・OGに登場願い、当時の思い出や今に繋がるエッセンスを語ってもらう。現在発売中のWedge7月号では、東京都立桜修館中等教育学校の取り組みを紹介しています。

  
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◆Wedge2019年7月号より

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