1980年代から90年代にかけ、一世を風靡した伝説のフュージョンバンド「カシオペア」の元キーボード奏者で、最近では超のつく鉄道マニアとしても知られる向谷実さん。現在では制作会社「音楽館」社長の肩書きも持つ。バンド活動中から開発に着手した鉄道シミュレーションゲームを発展させ、今では鉄道会社が乗務員訓練用として正式採用する、鉄道シミュレータを製造販売もしている。そして、東京メトロ、各私鉄駅などで聴かれる発車メロディの多くも、実は向谷さんが手がけている。
そんな向谷さん、意外にも高校時代には鉄道の趣味を封印していた。
「というより、中3でいったんピークを迎えちゃったんです。高校に入る前の春休み、まだ当時、北海道にはたくさん走っていたSLを撮りに回った。父が北海道出身なもんで、入学のご褒美に、親戚を訪ねるんなら—とお許しが出たんです。それで8mmカメラとペンタックス一眼レフを下げ、世に出回ったばかりのラジカセを担ぎ、まだ雪深い室蘭・網走本線までSLを追いかけた。
それでかなり満足したのと、鉄道はお金がかかるから、高校に入ると、そんな余裕もなくなった。途中からバイク通学をするようにもなりましたからね。ところが、ヤマハの250ccのデスロク(DS6)を買ったのに、金を支払う前に全損の事故を起こし、引き取り価格もゼロ。だけど、原チャリを買ってもらいましたね。思えば、寛大な親でした(笑)」
学校も寛大でバイク通学もOKだった。学生運動の嵐が静まった当時、東京の進学校は公立も私立も、どこもそんな感じで、生徒の自治を重んじ、かなり放任的。向谷さんが卒業した現・桜修館は、以前は東京都立大附属高、略称を都高といったが、旧制高校からの伝統もあり、特に大らかな校風だった。
「大学附属ですから、高校生も生協が使え、聴講もできる。そこで『質問!』とかやっていたわけです(笑)。三無主義、五無主義の風潮だったとはいえ、ウチは自治会活動が盛んで、バイク通学も黙認ではなく、学校に認めさせていましたね。学校のほうも生徒に自意識を芽生えさせようと寛容でした。おかげでみんな(柿の木坂の)下から上がってくるうち、パチンコや麻雀屋のどちらかに消えてしまい、学校まで辿り着かない(笑)。
僕も確か3年の時は机がなかったですね、教科書も共有で…。出席もきちんと取らないから、教室から机を出しておけば、欠席者がいないと先生は思うんです。ところが、そのうち机自体が行方不明になった(笑)。