衰退の道を歩み始める
中国の小売業「大革命」の先導役として、カルフールの存在は大きかった。各地方政府から多くの「優遇政策」を受け、同社は次々と出店を果たし、肥大化の一途を辿った。当初からは賃金水準も高く、業界から優秀な人材を引き付け、成果主義の人事政策・制度に徹し、業績を伸ばした従業員をどんどん抜擢し、飛び級の昇格人事も日常茶飯事だった。
2003年、カルフールのグローバル店長大会がパリのルーヴル宮殿で行われ、ゴルバチョフ氏がゲスト講演に招請されたほどの盛会だった。同社は繁栄を極める絶頂期を迎える。
中国では、カルフールが後発のウォルマートを抑え、快走を続ける。2007年、カルフール中国は成長率と売上高・利益ともに過去最高を記録し、グループのスターとなる。絶頂期を迎えるカルフール中国は2008年をピークに、下り坂を歩み始める。1つ大きな変化は、従来与えられてきた各店舗の自主運営権が「中央集権制」の導入により取り上げられたことである。
2008年という年は、中国にとってある意味で折り返し地点であった。高度経済成長からもたらされた格差や公害などの問題が顕在化・深刻化し、国は「労働契約法」をはじめ、一連の政策転向に踏み切った。外資企業も過去のような輝かしい存在ではなくなり、唯一無二の地位を失っていく。一方、中国系企業は猛烈な追い上げを見せ始め、市場ルールの制定権を掌握すべく外資勢に宣戦布告をする。
カルフールは業績の悪化とともに、新規採用を打ち切り、自然退職による間接的リストラに着手した。店長をはじめとする幹部の権限や賃金は削減され、優秀な人材が流出し、各店舗では顧客の苦情も増え始めた。
日系企業の場合、一般的に欧米系と違い、当初から一貫した中央集権的な管理がなされ、成果主義よりも年功賃金が主流である。しかし、カルフールは前述のように店舗分権や絶対的成果主義ベースの運営でやってきただけに、急激な転向により、大きな反動を生み出したわけだ。
2009年、台湾系の大型スーパーである大潤発(RTマート)は121の店舗で総額400億元を売上げ、カルフールの156店舗の366億元を上回り、単店舗平均売上では、大潤発は3億3400万元でカルフールの2億3500元に大差をつけた。カルフールは、王座を失った。
とは言っても、当時のカルフールはまだ十数億元の純益を出しているだけに、その時は事業売却のベスト・タイミングだった。しかし、強気の姿勢を崩せなかったカルフールは買い手との交渉で条件が折り合わず、不運にも時期を逸した。
大潤発に抜かれた一件、大都市を本拠地とするカルフールはそもそも、ウォルマートやメトロといった多国籍大手の動静にいくらかの注意を払うにしても、地方都市のプレイヤーである大潤発などは当初から眼中にない、という姿勢だった。ローカルの情勢をいかに分析し、経営戦略に落とし込んでいくか。この辺、罠にはまりやすいのは何も日本企業だけではない。欧米勢も同じようなミスを犯してしまうのである。