迷走する日本の「働き方改革」への処方箋

2019年7月26日

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立花 聡 (たちばな・さとし)

エリス・コンサルティング代表・法学博士

1964年生まれ。早稲田大学理工学部卒。LIXIL(当時トステム)東京本社勤務を経て、英ロイター通信社に入社。1994年から6年間、ロイター中国・東アジア日系市場統括マネージャーとして、上海と香港に駐在。2000年ロイター退職後、エリス・コンサルティングを創設、代表兼首席コンサルタントを務め、現在に至る。法学博士、経営学修士(MBA)。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所招聘研究員。

 

 日本人は「自己責任」とどう向き合うべきか?

 次に、個人ベースの「アプリ」の変革になる。

 戦後の大変革にあたる「非終身雇用時代」への突入。日本人一人ひとりにとっての衝撃が大きい。いわゆる常識が覆される衝撃である。人によっては「人生が狂ってしまう」という状況も生じ得るだろう。

 1つの例を挙げると、住宅ローン。正社員の終身雇用を前提に銀行が設定した与信審査基準は根底から覆される。基準設定だけでなく、すでに実施したローンの返済への雇用(収入)保障が消滅した時点で基準の見直しが必要なのか、あるいは返済に実質的な支障が生じた場合、またどう対処するか。問題が多い。

 時代の大転換を前にして、日本人は厳しい現実とどう向き合うべきだろうか。

 ここ数年、日本ではどうやら「自己責任」という言葉はあまり気色がよろしくない。広範な選択の自由の下で生まれる「自己責任」はリスク、つまり不利益の可能性を意識させるからだ。日本の場合、個の確立が立ち遅れているとも言われている。多くの人は選択の自由よりも不選択の安心に傾き、共同体の成り行きに身を委ねてきた。故に自己責任には違和感を抱く。

 決してこれを批判しているわけではない。「選択の自由を放棄し、不選択の安心」を選ぶのも一種の選択の自由であり、これが保障されるべきだろう。ただこれからの時代はどちらかというと、選択を求められる時代になる。普通に大学を出て会社に就職し、一生サラリーマンとして働き、最後定年退職するという敷かれた軌道が撤去されると、いわゆる「不選択の安心」も消えてしまう。

 選択する自由を与えられたところで、その選択の結果に対する責任も自分で取らざるを得なくなる。「自己責任」という概念に善悪の判断を挟む余地がなくなり、否応なしに責任を負わされてしまう。従来のミニ(疑似)社会化された会社という共同体への恒久的所属が解消された時点で、リアル社会が取って替わり一次所属共同体となり、会社よりも社会への親和性を求められる。つまり、真の意味で「会社人」から「社会人」になることだ。

 「出世」の定義も変わる。会社に入っての出世ではなくなり、社会ないし世界という広義的「世」に出ての出世になる。社内の人間関係や1社にしか通用しない狭窄な「特別スキル」よりも、社会全体に渡る広範な人脈と汎用性のあるサバイバル力が求められる。

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