お悔やみの場がなごみの場に
ご自宅にあがり、順番にお線香をあげた。
いつも淡々と立ち働く、痩せて骨がしっかりとしていたおじいさんが、小さく横たわっていた。何とも言えない寂しさがこみあげてくる。ハンカチで目頭を押さえる方もいる。それでも、場の雰囲気は過度に暗くはなかった。
こぢんまりとした、親密な場。
ここのところの体調や、亡くなる前にどんな数日を過ごしていたかなど、喪主の弟さんから説明があった。ご本人を前にして、それをみんなでゆっくりと伺う。生と死の境はあれど、これまでずっとこの地域で暮らしてきた仲間が一堂に会するといった格好だ。「まあ次はわたしだから」「いや順番的にはわたしでしょうよ」と、口々に。
「長患いしないで、しかも最後は自宅にいられたっていうのが、よかったよねえ」と、喪主の奥さんが言う。家族を亡くした寂しさは大きいはずだが、誰もが老いて亡くなりゆくという命の大きな流れに抗うような悲しみを表すことはない。
斎場での事務の手伝いも地域で行う。主に男性らしい。その打合せを横目で見ながら、おばあさんたちの話が続く。つい先日娘さんを看取ったおばあさんが「思い出すと今でもねえ、涙が出てねえ」とぽつりと言うと、「堀ちえみさんも同じ病気だってテレビでやってたねえ。きっといい治療をしているんだろうねえ」「ああ、違うだろうねえ」「あのひとは若いね、歳いっても」「そりゃあわたしらはくちゃくちゃよう」「うふふ、くちゃくちゃ」と、まわりのおばあさんが柔らかく寄り添う。
その後、わたしはいったん自分の家に戻ったが、おばあさんたちは長い長い立ち話の末、すぐ隣のおうちに連れだってなだれこみ、そこでずっと懐かしい話に花を咲かせていたらしい。
午後になると、門送り(かどおくり)があった。昔は、女性は家のことで忙しくて斎場に行けなかったため、近所の女性たちが門の前で出棺を見送るという習わしがあったらしい。近所づきあいが減った昨今、こうした風景はもうほとんど見られなくなっているが、この集落では当たり前のように「じゃあ、15時に」と再び近所の方々が集まってきた。
霊柩車が、家から発車する。
長いクラクションとともに、去っていく車の後ろ姿を見ながら手を合わせる。
またひとり、集落の人間が減った瞬間だ。
しんみりとした空気に満たされようとする、その直前。
「はい。これでもう帰ってこない。これで、おしまい」と、ひとりの女性がしっかりとした声で言った。自分たちに言い聞かせるように。
これまでも多くのご近所さんを、こうして送ってきたことが分かる口ぶりだった。
車はすっかり見えなくなっても、誰もその場から立ち去らなかった。三々五々に集まり、懐かしみ、笑いあい、元気をもらい、共に生きる今を確認する。
「死んだ人ってぇのは、そういう機会をつくるっていう役割があんのかもしんねぇなあ」。
おじいさんの家の前に住む男性が、そう、ぽつりと言った。