それでは、このような中、「日本」の存在感はどの程度、ワシントンのシンクタンクではあるのだろう? 悲しいかな、「日本」や「日米関係」が最も「旬」だったのは今からやく20年ほど前、日米貿易摩擦が最も厳しい1980年代から1990年代にかけてであった。その後、小泉純一郎総理の登場により、一旦、2001年以降、日本に関する関心が息を吹き返し、再び「旬」の時期が到来するかと思った。だが、小泉政権以降の頻繁な総理交代の中、再び日本に対する関心は衰えてしまった。昨年の東日本大震災という大惨事により高まりはしたが、基本的には今でも、日本に対する関心は低調なままである。
このことはワシントンで「日本」を専門にする主任研究員を抱えているシンクタンクが少ないことを見ても明らかだ。
ワシントンのシンクタンクで日本でもおなじみの大手研究所といえば、CSIS,ブルッキングス研究所、ヘリテージ財団、アメリカン・エンタープライズ、カーネギー平和財団、外交評議会辺りだろう。この中で現在、「日本」や「日米関係」を専門にする主任研究員を擁するのはCSIS,アメリカン・エンタープライズ、外交評議会の3つだけだ。ブルッキングス研究所は数年前に日本経済の専門家であったエドワード・リンカーン氏が去って以降、日本専門家は雇われていないし、カーネギー平和財団に日本の専門家がいた、という話は聞いたことがない。ヘリテージ財団はここ数年、朝鮮半島情勢の専門家に日本も研究させている(同財団は今年から「日本フェロー」として日本人の主任研究員の採用を始めた。だが、彼らの存在意義は日本でヘリテージ財団のプロフィールを高めることにあり、ワシントンでの「顔」は引き続き、朝鮮半島情勢専門で日本も研究している主任研究員だ)。現在、シーラ・スミス博士という日本専門家を擁する外交評議会でさえ、前任のマイケル・グリーン博士が2001年に国家安全保障会議アジア部長として政権入りしてからスミス博士が2007年に着任するまで6年ものブランクがある。ちなみに、この同じ期間、各シンクタンクの中国問題や朝鮮半島情勢問題の専門家は着実に増えている。
「日米関係だけでは資金が得られない」という現実
現存する日本専門家も、もはや日米関係だけでは仕事にならないので、より広い範囲に手を広げているのが現状だ。マイケル・グリーン博士が在籍するCSIS日本部が最近手がけているのは「日米豪」「日米印」など日米が機軸にはなっているものの、第3国を加えた3カ国関係に関するプロジェクトが多い。スミス博士も中国やインドなど「台頭する大国」が日米関係に与える影響について研究している。アメリカン・エンタープライズのマイケル・オースリン博士も、日本専門家ではあるが、彼が最近新聞に寄稿するテーマは海洋安全保障や米国のアジア戦略など、より広いテーマをトピックにしたものばかりである。
ワシントンのシンクタンクで日本専門家として末席を汚している小職も、常に上司からは「日米関係以外に研究テーマを広げるように」と叱咤されている。これは、「日米関係」だけをテーマにしていてはファンドレイジングが立ち行かないことと決して無関係ではない。要は、「日本」や「日米関係」だけを専門にしていたのでは、シンクタンクで職を維持するのに必要な資金を引っ張ってくることができないのだ。なので、元来は日本の国内政治や日米安保のようなトピックが大好きな日本専門家であったとしても他の分野に研究を広げざるを得ないのである。
これでは、次世代の日本専門家がシンクタンクで活発な政策提言を行って活動する場所が広がるわけがない。マイケル・グリーン博士がブッシュ政権から去った後「次のマイケル・グリーンは誰だ」が外務省や防衛省の中では合言葉のようにささやかれたが、日本を専門にしていてはシンクタンクでやっていけない状況では、「第二のマイケル・グリーン」なんて出てくるはずもないのだ。