温氏の主張のルーツは、1987年秋の第13回共産党大会での趙紫陽氏(故人)の報告だ。趙氏は総書記代行として活動報告を行い「政治体制改革を進めなければ、経済体制改革も最終的な成功を収めることはできない」と述べ、党政分離に向けた政治体制改革の推進を訴えた。
天安門事件で政治体制改革は凍結されたまま
当時の最高実力者、故鄧小平氏がリードした動きであり、党大会に先立つ87年7月1日(党創建記念日)の党機関紙・人民日報は「党と国の指導制度の改革」という鄧小平講話(80年8月18日付)を第1~2面をほぼ費やして掲載し、政治体制改革に本腰を入れることを大々的に宣言していた。
しかし、残念なことに、約2年後の89年6月、民主化運動を武力で弾圧した天安門事件が起き、民主化運動に同情的だった趙総書記(当時)は完全に失脚。本格的な政治体制改革は今日に至るまで、事実上、凍結されたままとなっている。
温首相は当時、党中央弁公庁主任として趙氏に仕えており、趙氏が民主化を要求して座り込む学生たちに退去を呼び掛けた際も同行した。温首相は趙氏直系の「改革派」としての矜持を持つようだ。
文革の際、毛沢東への個人崇拝、4人組への権力集中、大衆の扇動により、「無法無天」(法もなく天もない)と言われた無政府状態に陥った。温氏は政治体制改革によって、貧富の格差や汚職を解決しなければ、薄氏のような左派が権力を握り、文革の混乱が再演されかねないと懸念しているのだ。
温首相、指導部の中で孤立も
温首相は昨年9月、中国大連市で開かれた国際フォーラムで、自らの政治体制改革の重点として①党政分離で権力集中を是正②格差を縮小し、公平な社会づくり③公正な司法制度④国民の民主的権利の保障⑤官僚腐敗を防止――の5点を挙げた。
温首相は約2年前から、政治体制改革の重要性を度々強調し、現指導部の中では最も民主化に前向きだ。しかし、温首相は、左派薄氏の排除には成功したものの、指導部交代を前に安定志向を強める現指導部の中では、なお孤立しているとの見方も根強い。
北京大学教授(法学)の民主派、賀衛方氏は薄氏の解任ついて「現指導部が文革のようなやり方を否定したことは重要だ」と評価しながらも、政治体制改革の行方がはっきりしないことには懸念を隠さない。
賀氏は「伝統的な社会主義イデオロギーと、民主と法治の間には、はっきりとした食い違いがあり、共産党がこの障害を越えるのは難しい。このほか、権力利益集団を排除する難しさも厳しい試練だ」と指摘した。
「烏坎モデル」は続かず
中国広東省の烏坎村では昨年、地元政府の腐敗に抗議する住民が警官隊と激しく衝突したが、3月初め、自治組織「村民委員会」の役員選挙が行われ、民主的な選挙で主任(村長)が選ばれた。
一部の有力者が権力を独占していた村では長年、正常な選挙が行われなかったが、選挙などを求めて立ち上がった住民が当局側から異例の譲歩を勝ち取った。この住民運動は「烏坎モデル」ともてはやされたが、「烏坎に続け」と各地で起きた抗議活動は当局に次々と抑え込まれている。