オトナの教養 週末の一冊

2019年11月21日

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松本利秋 (まつもと・としあき)

国際関係アナリスト・ジャーナリスト

1947年高知県安芸郡生まれ。1971年明治大学政治経済学部政治学科卒業。国士舘大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士。ジャーナリストとしてアメリカ、アフガニスタン、パキスタン、エジプト、カンボジア、ラオス、北方領土などの紛争地帯を取材。TV、新聞、雑誌のコメンテイター、各種企業、省庁などで講演。著書に『戦争民営化』(祥伝社)、『国際テロファイル』(かや書房)、『「極東危機」の最前線』(廣済堂出版)、『熱風アジア戦機の最前線』(司書房)、『日本人だけが知らない「終戦」の真実』 (SB新書)、『逆さ地図で解き明かす新世界情勢』(ウェッジ)など多数。

(Jean Landry/gettyimages)

「パリ協定離脱」に見るトランプの深謀遠慮

 現在、アメリカの政治シーンでは、来年秋の大統領選挙を巡る一大ページェントが展開されている。与党共和党では、大統領候補は現職のトランプ大統領出馬でほぼ決まりとされている。片や民主党は、極左から中道右派までその政治的主張を異にする20人以上もの候補が乱立。候補者が一堂に会して行う討論会では各自が主張を述べ合い、場合によっては候補者同士の足の引っ張り合いも演じられ、混乱気味である。

 だが、一見バラバラに見える民主党候補者たちに共通しているのは、ウクライナ疑惑を巡って弾劾裁判に持ち込むことでトランプ大統領の政治手法を批判するだけでなく、大統領支持層を離反させることで一致しているということだ。

 かつてウクライナの大統領選挙に当時のオバマ政権が深くかかわり、新大統領を誕生させていた。オバマ政権のウクライナ大使と大統領補佐官が次期大統領を誰にするか選挙前に打ち合わせをした電話の内容が暴露され、大統領補佐官は電話の内容が事実であることを認め謝罪するというスキャンダルがあった。そして、ウクライナの国策ガス会社に当時のアメリカ副大統領バイデン氏の次男が重役として就任し、月額日本円にして約1000万円という高額の報酬を得ることになったのである。

 一方で、トランプ大統領は2期目の大統領選挙で民主党有力候補バイデン前副大統領次男のガス会社重役就任に関する調査をウクライナ大統領に依頼し、応じなければ軍事援助停止をほのめかせていた…というのが民主党のシナリオだ。CNNやニューヨーク・タイムズなどは連日この問題を採り上げ、大統領は国家予算の一部である軍事援助を選挙戦で有利にするため私的に利用しており、弾劾に値する人物だとするかのようなキャンペーンを張っている。

 これに輪をかけるような、さらなる大統領批判の材料が浮上。それが2019年11月4日、トランプ大統領が地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」からの離脱を正式に宣言したことだ。それを国連に通達したことで、来年11月にアメリカの離脱が決定。当然ことながら民主党各候補はこれに反対。アメリカの各マスコミも批判的な報道を繰り返し、大統領選挙に向けた重大な争点になりそうな勢いである。

「グリーンランド買収」に見え隠れする北極海の覇権争い

 地球温暖化の象徴として採り上げられるのは、北極海の氷の減少問題だ。『ナショナル・ジオグラフィック』誌日本版2019年9月号によると、北極海の氷は早ければ2036年、遅くとも今世紀半ばまでには全部溶け、カナダ北部やグリーンランドにわずかな氷が残るだろうが、北極全体にはほとんど氷がない状態になると予測している。

 このことは地球の環境問題からすれば大問題で否定的な捉え方がなされており、先に挙げた「パリ協定」の基本志向も否定路線で貫かれている。が、逆に見れば北極の氷がなくなることで、北極海全体がユーラシアと北米の二大陸に囲まれている単なる「内海」になってしまうのである。このことは北極点を中心に北半球を見渡す究極の「逆さ地図」として見れば一瞬に理解できるだろう。それを見越して今、米露それに中国が参入して北極海航路開発を巡る覇権争いが始まっているのだ。

 2019年8月15日トランプ米大統領が、「グリーンランドを買収する可能性を検討するよう指示を出した」というウォールストリート・ジャーナル紙の報道があった。大統領自身もツイッターでその事実を認めた。

 それに対してグリーンランドを領するデンマークのフレデリクセン首相が、「グリーンランドは売り物ではない。馬鹿げた話だ」と批判。これに対してトランプ大統領は2週間後に予定していた国賓としてのデンマーク訪問をキャンセルしてしまった。世界のメディアはいかにも不動産屋上がりのトランプらしいエピソードだとして笑い話のように扱った。

 だが、現実は氷が解けてしまった北極の重要性を考えれば笑ってすまされる話ではない。先に挙げた北極点を中心にした「逆さ地図」を見てみると、アメリカ、ロシア、カナダ、ノルウェー、イギリスなどの国々が北極海を隔てて非常に近いところにある。北極海の氷が溶けることでこの地域にある手付かずの資源の開発が現実味を帯び、さらには北極海航路開発の主導権争いが激化している現実を直視しなければならないだろう。

 北極海が航行自由になれば、その経済効果は計り知れない。北極海航路のメリットとして第一に挙げられるのは輸送距離の短縮だ。例えば、オランダのロッテルダムから横浜までの航行距離は、現状で最も一般的なスエズ運河を通る航路が2万1000キロメートルであるのに対し、北極海航路の場合1万4000キロメートルと約3分の2に短縮できる。時間にしても30%短縮できるとされている。ロシア極東のウラジオストクからサンクトペテルブルクまでの航路では2週間(14日)短縮できるとの計算もあるのだ。

 この輸送時間の短縮は燃料費の節約にも多大の効果が見込める。日本郵船の資料によれば、2018年3月の時点で運行費6040億円の中で燃料費は1836億円と全体の約30%占めている。輸送距離が短いということは、同じ輸送時間でも速度を落として輸送できるということに繋がる。燃料の消費量は速度の3乗に比例するとされているのだ。つまり、ゆっくり走るということは燃費の改善に大きな影響を与えるわけだ。

 スエズ運河を通ってヨーロッパに至る航路では、バーブ・アルマンデブ海峡(紅海からアデン湾に抜ける海峡)およびマラッカ海峡というチョークポイントがあり、海賊などのリスクを伴う。日本の海上自衛隊もアデン湾にP3C哨戒機と護衛艦を派遣して海賊監視に当たっているのが実情だ。それに引き換え、北極航路はこのようなリスクが低いので安全な航海が期待できるのだ。

 だが、北極海の氷が溶けることで何よりも期待できるのは、北極海沿岸や海底に埋蔵されている石油、天然ガス、レアアースなどの鉱物資源を開発する可能性が出てきたことだ。これこそが各国が注目しているところである。

北極海がユーラシア大陸とアメリカの内海となることを見越して、米露中が参入しての北極海航路開発を巡る覇権争いが勃発している(PeterHermesFurian/gettyimages) 写真を拡大

「近北極国家」を標榜する中国よりも北極圏に近い日本

 現在、北極開発で先行しているのはロシアだ。広大な国土の北海岸全てが北極海に面している上に、ロシア側から大陸棚が大きくせり出している。これを基に、ロシアは北極点を含むロモノフ海嶺やそれに隣接しているメンデレーエフ海嶺もロシアの領土だと主張している。現在の海洋法に照らし合わせれば、北極点を含む広大な海と海底はロシア領となる可能性もあるのだ。

 中国も自らを「近北極国家」と位置づけ、一帯一路戦略に基づいて2018年1月に「北極政策白書」なるものを提出。北極海航路を氷上シルクロードと名付けて積極的開発に乗り出している。中国はグリーンランドに20億ドル以上を投資、空港拡張工事やインフラ整備に中国人労働者を送り込み、鉱物の採掘に積極的に取り組んでいる。さらには中国人観光客を送り込み、なじみの薄い中国人の生の姿を見せつける戦略もとっている。

 ロシアとカナダは北極海沿岸に港湾を設置し、多くの軍事基地を置いて兵力を配置しているが、アメリカは北極圏に大きな港がなく、軍事基地はグリーンランドのチューレ借地に設けた空軍基地のみで完全に出遅れている。トランプ大統領がグリーンランド買収を言い出した背景には、「北極海の氷が溶ける」ことを前提とした北極海の覇権争いに食い込んでいこうとする戦略的思考があったと考えてもおかしくはない。が、現状は2020年にグリーンランドに米国領事館を設置することが決まっただけである。

 このように北極海は地球規模の気候変動によって新たな覇権争いの舞台となっているという視点に立つと、日本は中国よりも北極に近く、アジアで最も北極圏に近い近代国家だというのが現実だ。この「地の利」を生かすことが日本の将来にとっても大きなメリットとチャンスがあると見るべきだろう。

北極海航路の起点として重要な北方領土

『逆さ地図で解き明かす新世界情勢』(ウェッジ)

 日本は2015年に北極海政策を打ち出し、文部科学省管轄で北極研究船の開発に取り掛かることを決定。2020年度向けに2019年度予算の2.6倍となる6億5000万円の予算請求。海氷レーダーの開発や衛星情報を得て海氷分布を予測する技術を組み合わせ、燃料負担の少ない航路を選択できるような北極海の安全航行支援を行うシステム開発に取り掛かることになった。

 このように日本も前向きな姿勢を採るようになったが、まだまだサブ的な関与でしかない。ここで提案したいのが、日本で最も北極に近い北方領土を積極的に活用し、このステージでメインプレイヤーになることである。

 この件については拙著『逆さ地図で解き明かす新世界情勢』(ウェッジ)でも詳述したが、北極海の開発で新たなステージができれば北方領土を生かす道ができてくる。ロシアにとっても新たな地下資源開発には日本の協力が必要となってくるし、何よりも資源の販売先としての日本は重要だ。

 北方領土を北極航路の起点(帰着点)として高性能な港湾施設や資源の精製工場、船舶のメンテナンス設備の常設などで北極航路と資源の開発に特化した経済基地として開発。その場合、ロシアとの共同開発特区として世界に開放し、北極航路利用に関するすべてのサービスを提供し、国際的な場所として発展できれば、日露の間で長期の懸案となっているいわゆる「領土問題」を解消できるのではなかろうか。北方領土の地政学的な位置はそれを実現することが十分可能である。

  
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