タイの市場のお菓子の屋台だったか。レストランでビュッフェのデザートだったか。30年以上前、あまりにも昔ゆえ定かでないが、見て、食べて驚いたことは覚えている。
鶏卵素麺(けいらんそうめん)。日本三大銘菓とも言われるものだから、説明の必要もないと思うが、あの福岡名物の、素麺の束のように見える、卵黄で出来たお菓子である。タイで見つけたものがそっくりだったのだ。だから、さて、どのような関係かと驚いたのだった。
久しぶりに何か甘いものを訪ねたい。そう思ったら、あの黄金に輝く素麺が浮かんできた。バンコクの喧噪と不思議と共に。
鶏卵素麺といえば、元祖は松屋。博多駅に近い本店で会った、その老舗の松江光社長は、13代目だという。ゲーム業界など、さまざまな経験を経て、家業を継いだ。だから、話すとビジネスの視点もユニークで興味深い。そんな人物が伝統を伝統として守る。
タイからの伝来ではなく、大航海時代の南蛮渡来、ポルトガルからのものらしい。そのくらいの予備知識はあったが、松江社長に聞くと、驚くほど詳細な話まで伝わっている。
初代、松屋利右衛門は長崎の平戸で「フィオス・デ・オーヴォス」、ポルトガル語で「卵の糸」を意味するお菓子と出会う。安土桃山時代にポルトガル商人が平戸に出入りしていた関係で、そこに伝わっていた。砂糖がまだまだ大変な贅沢品の時代。利右衛門は、いたく感じるところがあったらしい。
中国人の点心師、鄭という人物に教えを受け、試行錯誤した。そうして、完成したお菓子が「鶏卵素麺」であり、時の福岡藩主に認められ1673(延宝元)年、「御用菓子司 松屋利右衛門」となった。そこから13代。
案内してもらった工場は福岡市郊外。ふつうに今風の工場である。白衣にヘアキャップ、手の消毒などして、中に入れてもらうと、驚く。さすがに機械がベルトコンベア式に作っているのだと思ったら、昔と同じなのだ。
卵白と分けた卵黄だけをかき混ぜたものを、底に2つの穴が開いた容器に入れる。沸騰して泡が出る状態になっている、砂糖が溶けた液に流し込む。麺状に固まり、糖でコーティングされた状態になったところで、引き上げる。きれいに並べる。あら熱を取り、落ち着いたところで、切り分け……。
機械化出来そうなものと、素人目には思われたが、それは難しいそうだ。経験がものをいう、手仕事の世界だったのだ。糖の液の温度、沸騰している泡の状態などで判断するのだとか。そんなヴェテランたちが、10人ほど如何にも集中して、働いている。