ロシアがウクライナへの侵略を開始してから3年半近くが経とうとしている。この間、極東を担当範囲とするロシア軍東部軍管区からは多くの地上兵力がウクライナへと移送されていった。開戦初期にウクライナの首都キーウを目指して侵攻した部隊の主力は東部軍管区を中心とするヴォストーク部隊集団であったと見られており、ロシア軍がキーウ攻略を放棄したのちも同部隊集団はウクライナ東部を舞台に戦い続けている。
ウクライナ戦争で減少する
極東ロシア軍の兵力
こうした状況から、極東ロシア軍は今や〝スカスカ〟と言ってもよい状態になっている。開戦前から極東に配備されていたロシア軍の地上兵力は8万人ほど(防衛白書)に過ぎないと評価されていたが、現在ではずっと少なくなっているはずだ。
筆者が続けている極東ロシア軍の衛星画像観測からもこの点は明らかである。主要な駐屯地やミサイル陣地、予備兵器保管基地のほとんど全てにおいて、装備品が著しく減少するか、全く姿を消してしまっているからである。
戦死者もかなり出ている。英国のBBCとロシアのメディアゾーナによる合同調査では、2025年6月初頭までに確認できた戦死者(聞き取り調査などで身元が明らかになったケース)は11万1387人。ロシア連邦の極東連邦管区を構成する11の連邦構成主体全体では9272人に及ぶ。平均すると10万人あたり約118人が戦死している計算だ(次頁表)。しかも、このデータからは(理由は不明ながら)3番目に人口の多いサハ共和国のデータが抜けている上に、調査に引っ掛からなかった暗数が35〜55%あると見られている(BBC、5月5日)。
空軍の活動は
むしろ活発化している
しかし、日本の北方におけるロシアの軍事力がすっかりカラになってしまったわけではない。地上戦力がウクライナに送られる一方で、海空軍は基本的に手付かずのまま残されており、その活動も相変わらず活発なままである。
一例として、統合幕僚監部が発表しているロシア機へのスクランブル回数を見てみよう。20年代初頭において260回前後で推移していたロシア機へのスクランブルは、22年のウクライナ侵略勃発後、年間150回まで一時的に落ち込んだ。しかし、23年以降にはロシア機の活動は再び活発化の傾向を示しており、24年には237回とほぼ開戦前の水準に戻ってしまった。実際、衛星画像で確認すると極東の戦闘機基地や爆撃基地に展開している航空機の数には大きな変化は見られない。
