2024年7月13日(土)

ちょっと寄り道うまいもの

2012年7月12日

 食事時を外したのに、ひっきりなしにお客が入る、まさに「びっくりや」。ネギの風味がきいた味噌味と、ショウガがきいた醤油味。1つで十分、お腹いっぱいになりそうな大きさだが、味の変化で食べてしまう滋味。

 古民家を移築し、鍛冶屋や紙漉(かみす)きなどの手仕事を実演しているテーマパーク的な存在、「三州足助屋敷」にある「桧茶屋(ひのきちゃや)」の五平餅のセットも良い。かけソバに鮎の塩焼きなどと一緒に食べると、五平餅の位置付けも実感として分かる。

 食べ歩きしながら、会長と学芸員に説明を受けて話が見えてきた。だてに学会会長、学芸員を名乗ってはいない。詳細はインターネットで「とよた五平餅」と検索していただくと、力作の論考、解説が見つかるはずだ。

 起源、語源という話になると、紙幅も足りぬし、ややこしいから触れない。が、まあ、「学芸員」もいうように山里の暮らしの中で(おそらくは江戸後期に)生まれたものであることは間違いあるまい。

 この足助の宿あたりから、旧伊那街道(中馬街道、三州街道、飯田街道とも)、つまり信州飯田方面へと続く塩の道。さらに天竜川沿いに北遠州や奥三河へ下る方面、あるいは飛騨や美濃方面など、五平餅は、内陸部の街道筋、川筋で共有する山里の食文化である。信州でも松本より北は「おやき」の文化圏となる。

 たとえ川沿いであっても、舟で荷を運ぶことが難しく、陸路を人馬で運んだ地域の広がり。太平洋側からの荷は、河口付近では舟運を利用し、川幅が狭くなる足助の手前で馬に乗せ替えた。そこから終点(だから塩尻という地名がついたとの説も)まで1頭が通して運ぶのではなく、途中で何度か馬を替える。馬貸しは農民の副業で、暮らしに密接していた。このネットワークにより、食文化も共有されたのではないか。

 それこそ、伊那地方のものだと思っていたハチノコを、「珍しくもないが」と足助の宿の食事で出された。文化圏を強く感じる。


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