豊田市で味噌屋を営む友人がいる。その友人に久しぶりに会ったら、新しい名刺を渡された。肩書きを見ると、
「とよた五平餅(ごへいもち)学会会長」
五平餅といえば、炊いたうるち米を半潰しにして串に刺し、焼きつつタレにつけたものであることは周知か。ただ、それは長野県、伊那あたりの名物ではないか。
豊田市民のように、ご存じの向きには怒られそうだが、そのような理解(誤解?)だったのだ。私は。おそらくは多くのよそ者も。
「いやいや。豊田市民にとっても、五平餅は子どもの頃から食べ慣れたもので」
会長、つまり、枡塚(ますづか)味噌商店の野田清衛(のだきよえ)さんはそう言って、豊田市内の上坂(こうさか)商店に連れて行ってくれた。創業100年の老舗だが、高校生が部活の帰りにお腹を満たしていくような気軽な店。五平餅とみたらし団子が炭で焼かれていて、おでんも温まっている。高校生のみならず、近所の老若男女が店でつまみ、5本10本と買っていく。関西のたこ焼きのありよう。
まったく、浅学の至り。醤油味でお焦げが好ましい熱々の五平餅を頬ばりながら詫びると、会長、さらに調子に乗る。案内してくれたのが郊外の足助(あすけ)。紅葉の香嵐渓(こうらんけい)、春はカタクリの花の群生地、あるいは古い町並みで知られるかつての宿場町。
時間が止まった、ではなくて、あちらに江戸が、こちらに明治が、そしてまた私などの世代にも懐かしい昭和が混在する。素晴らしく面白く、興味深い町並み。歩き回ると、そこかしこで「五平餅」の文字を目にする。
間違いなく全国でも唯一の、五平餅学芸員にして豊田市役所足助支所の天野博之さんを紹介される。一緒に、足助の五平餅を食べ歩きして回る。