そして、保守系の朝鮮日報と中央日報が記者会見を翌日朝刊の1面で伝えた。両紙はその後、連日のように暴露記事を1面に掲載。さらに社説でも連日のように正義連と尹氏を批判した。
一連の報道では寄付金や補助金の使途や不透明な会計報告が問題視され、尹氏の個人口座が募金用に使われた不自然さが指摘された。さらに元慰安婦の遺志に基づく奨学金の受給者が市民運動家の子供に限定されていたり、尹氏が年間8万5000ドル(約920万円)だという娘の米国留学費用をどうやって工面しているのかへの疑問が提起されたりもした。
きわめつけは、企業からの寄付金で2013年に購入した元慰安婦の保養施設を巡る疑惑だった。尹氏の知人が紹介した物件を周辺相場より大幅に高い7億5000万ウォン(約6600万円)で購入したうえ、内装工事に1億ウォン(約880万円)かけた。しかも、交通の不便な場所だったので実際には元慰安婦の利用はほとんどなく、活動家たちがペンションのように使っていたという証言まで出た。そして、正義連は今年4月にこの物件を4億2000万ウォン(約3680万円)で売却していた。
ここまでくると、与党側にもかばいきれないという雰囲気が出てきた。当初は、保守系メディアと野党による政治的攻撃だと主張していたが、与党の重鎮クラスが「事態を深刻に受け止めている」と語るようになった。党としての対応を早急に取るべきだと主張する与党国会議員も出ているが、尹氏は韓国メディアのインタビューに「議員としての活動を見守ってほしい」と主張して、議員バッジへの意欲を見せた。
当事者が告白したタブーの存在
政界事情に詳しい外交筋は「単に活動団体の内紛ということではなく、与野党間の争いのカードになった印象だ」と話す。李さんは会見で具体的な不正の暴露をしたわけではなく、単に不信感を述べただけだ。今までだったら韓国メディアの扱いも小さく終わったのかもしれないが、尹氏が政界に出たことでフェーズが変わっていたのだろう。李さんの会見を契機に保守系メディアから「慰安婦タブー」が崩れ始めた。正義連は批判された経験がなくて無防備だったのか、疑惑が一気に噴き出した感がある。
このタブーについては、李明博政権で大統領外交安保首席秘書官を務めた千英宇氏が朝鮮日報への寄稿で吐露している。千氏は駐英大使や外交通商第2次官などを務めた職業外交官出身で、大統領秘書官だった時には日本の野田政権と慰安婦問題の解決策について協議したこともある。
千氏は、李さんの会見について「このような不都合な真実は、被害当事者である慰安婦ハルモニ(おばあさん)以外には口にできない。メディアや政府当局者は、正義連とその前身である韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の実態を知っていても、これを報道したり、語ったりすること自体がタブー視されてきた聖域だったからだ」と書いた。
尹氏の政界進出という要素に触れていない部分は物足りなさを感じるが、タブーだったことを当事者として認めたことは大きい。
メディアでは、2015年の日韓合意に関する報道を代表例として挙げられる。挺対協の主張に沿った合意批判が多く報じられる一方で、合意時点で生存していた元慰安婦47人のうち35人が日本政府の拠出金から出た1億ウォンを受けとったことは、韓国では当時、ほとんど報じられなかったのだ。李さんの記者会見後、韓国メディアがこの数字を当然のように報じていることに少し違和感を覚えるほどだ。
東南アジアの慰安所で働いていた朝鮮人男性の日記が2013年に見つかった時も、似たようなことが起きた。日記には最前線であるビルマにいた慰安婦たちの厳しい生活事情とともに、後方地域であるシンガポールでは満期明けで帰国する慰安婦もいたことなどが書かれていた。朝鮮半島から複数回にわたって慰安婦が集団で東南アジアに渡っていたことがわかる記述もあった。
当時の実情をうかがわせる貴重な資料だ。私を含む多くの日本メディアは、置かれた環境によって慰安婦たちの境遇は千差万別であったことを書いた。ところが韓国メディアに出たのは、シンガポールでの記述を完全に無視した過酷な環境についてだけの記事だった。ソウル特派員だった私は、それを読んで唖然とさせられた。
余談になるが、ベストセラーとなった『反日種族主義』も同じ日記を取り上げた。この本は逆に、ビルマでの過酷な扱いについての記述をほとんど無視した。これもタブーへの反動と言えたかもしれないが、この本は保守派による進歩派攻撃という政治的色合いが強いものだったからか、韓国社会全般でタブーを崩す影響力を持つようなことはなかった。