2024年11月22日(金)

佐藤忠男の映画人国記

2012年7月20日

 おなじく善良な庶民の役で名人芸を見せたのが河村黎吉(1897~1952年)。やはり深川区の生まれ。神田の錦城商業予科を出て中州の日本橋真砂座で13歳で初舞台を踏んだという新派劇育ちである。松竹蒲田から大船へと、松竹の現代劇の人情ものから戦後の東京のサラリーマンもののはしりだった「三等重役」(1952年)ではじめて主演するまで、ひたすら小心で涙もろい庶民の粋な心意気を演じてきた。代表作を1本あげれば小津安二郎の「長屋紳士録」(1947年)。

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発売・販売元:東宝

 歌舞伎の出身では神田区橋本町の生れの阪東妻三郎(1901~53年)がいる。日本橋高等小学校を出て十一世片岡仁左衛門の内弟子になるが、歌舞伎では名門の子でないとスターにはなれないことを知って仲間を集めて小芝居のリーダーになり、京都に行って時代劇映画のスターになった。まずは反逆児やニヒリストの浪人者といった新しいキャラをつくり出し、やがて英雄豪傑もやって子どもたちのヒーローになる。最高の名演は「無法松の一生」(1943年)の人力車引き。田村高広、田村正和の父親である。

 新劇出身では滝沢修(1906~2000年)。牛込区の生まれで家はブルジョア。開成中学を出て当時1924年に開場した築地小劇場に参加し左翼演劇の俳優になる。1934年に舞台の「夜明け前」で主役の青山蔵を演じているが、戦後に映画化されたときにも同じ役で代表作のひとつに数えられる。新劇でリアリズム演技の頂点をきわめ、映画でもその風格の大きさがモノを言った。「安城家の舞踏会」(1947年)の没落する旧華族の主人など、いかにも芝居くさい大芝居だが、これも風格の大きさで見せて見事なものだった。

 小沢栄太郎(1909~88年)も新劇出身である。生れは芝区田村町(現港区)。芝中学を出てやはり築地小劇場通いからプロレタリア演劇の俳優になった。戦後に俳優座のリーダーのひとりとなって六本木に自分たちの自由に使える俳優座劇場を建設するためどんどん映画に出て稼ごうということになり、悪役をもっぱら演じた。なにしろ顔がでかく、押し出しが利く。「不毛地帯」(1976年)の防衛庁長官とか。そんな権力者はこの人にかぎる。(次回も東京出身の俳優編)

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