「2012年のたい肥は、原発事故以前のものを使用していますが、来年に使う予定の今作っているたい肥は、原発事故後の落ち葉を使用しています。もちろん測定は行っていますが、数字がどう変化するかは、まだ未知の部分もあります。今後、たい肥が出来上がった段階で詳細に測定し、その結果『ノー』と判断すれば、たい肥は処分します。そして同じ状況が2年、3年と続くのであれば、地元の山の落ち葉をたい肥にする今の農業のスタイルを変えることもありえます。悔しいですけどね」
去って行った農家も
布施さんが農業に取り組む、常陸太田市大中町の里美地区には、現在、ほかに4人の新規就農者がいるが、実は震災後、一人の新規就農者のがこの地を離れた。周辺の村の新規就農者も何人か去った。放射能汚染を恐れ、関西などに移ったのだ。
布施さんは、そのことに当時大きなショックを覚えた。
「この地域でずっと暮らしている人たちは、逃げも隠れもできないでいました。私たち新規就農者は『この地に骨を埋める覚悟』で来ましたし、だからこそ、住民の皆さんは受け入れてくれたんです。それなのに、さっさと逃げた仲間を目の当たりにして、相当落ち込みました」
取材中、布施さんに畑を案内してもらったが、途中、様々な住民と幾度となく挨拶を交わしている姿が、とても印象的だった。農地は、当初50アール程度だったが、今は2ヘクタールとなった。地域住民と信頼関係を構築していった結果、少しずつ農地を譲り受け、広げていったのだ。
「今は去った仲間に対して、悪く思う気持ちは消えました。ただ今思うのは、有機農業というものが、どれだけ根拠のない“安全・安心”というものの上に胡坐をかいてきたかということです。安全・安心は、消費者と生産者の距離が縮まって、はじめて生まれるもの。そのことを今、あらためて強く感じています」
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