2024年11月22日(金)

医療を変える「現場の力」

2012年8月6日

助けを求めない親たち

 入院中は本人も大変だが、支援がなければその親も大変だ。子どもが小さい場合や病状によっては付き添い入院をしなければならない。核家族であったり自分たちの親の介護をしていたり、経済的な事情でどうしても付き添えない場合、子どもがひとりぼっちで病室にいることになる。それを知っていてもどうにもできない苦しみを抱えながら、病気の子にきょうだいがいればその子たちの面倒をみながら、面会時間には病院に駆け付け、仕事を持っていれば職場と病院との往復になる。

 「特に重い病気の子のお母さんたちは、一人で1年も2年も、『私がここで踏ん張らなきゃ』って頑張るんです。治るまでの真っ暗なトンネルを抜ければ光が見えるって。想像以上に大変ですよ。でも毎日いっぱいいっぱいだったり、『それは親のすること、他人に助けを求めることではない』と思っていたりするから、外に向かってSOSを出さないんです」

 しかし明らかに、親たちも支援を欲しがっていた。坂上さんらが訪問保育を担当していた子が退院する時、周りの親たちから「辞めないでほしい」、「うちの子とも遊んでほしい」と懇願された。親たちの声を嘆願書として区長に提出するも玉砕。それを知った看護師長が3カ月かかってボランティアとして坂上さんたちが院内に出入りできるよう、院長や他部署を説得してくれた。

 こんな流れで、1991年6月1日、坂上さんは保育士や親、看護師ら仲間5人と話し合い、遊びのボランティアを立ち上げた。まだボランティアが日本に根付く前、病気の子どもにも遊びが必要だと今のように認識される前のことだ。

週に1回、1度も休まず20年以上

土曜日の午後、初めてのボランティア参加者はまずレクチャーを受けてから病院へ出発!
(写真:著者撮影)

 坂上さんたちの遊びのボランティアは、原則週1回、土曜日に病院の小児病棟を訪れ活動をしている。登録者は60人ほどで、うち約半数が学生、その他保育士、教師、会社員、子どもの入院経験のある親たちなどさまざまである。負担なく長く続けられるようにとの配慮から、それぞれのボランティアたちは月1回、1時間半の活動をする。ただ、重症の子や特別に医師からの依頼があった場合には特別にチームを作って平日も訪問している。

 親や病院側から辞めないでと言われて始まった活動とはいえ、高度医療の現場だけに「感染の問題、事故の問題、何かあったらどうするかと絶えず突きつけられる思い」と坂上さん。


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