亡くなった子どもたちが見守っていてくれる
山あり谷ありのこれまでだったが、「何でも“ついで”だったからやったのよ」と、坂上さんはあっけらかんと言う。
「家から近かったとか、たまたま時間があったからとかね。こういうのを神様が仕掛けるとしたら上手にやるなあって思う。途中でやめられないというか……」。節目節目でなぜか、新たな出会いがあった。
保育士としての仕事を、介護と子育てのためにやむなく辞めていた1980年代後半、同僚の子どもが入院している病院に行ってあげてほしいと友人に頼まれた。「重病の子どもに自分に何ができるのか?」おそるおそる病室に行ってみると、そこには息子とほとんど同年齢、1歳半のY君がいた。
小児がんと闘うY君と遊ぶ一方で、病室にこもって付き添いをしていた母親に弁当を届ける日々が3年ほど続いた。「今思えば、Y君が(今の活動の)種を蒔いたのね」と、坂上さん。
Y君は4歳で亡くなってしまったが、それから2年後、坂上さんは訪問保育士の仕事に就く。今でも苦しいときには背中を押してくれていると感じると、坂上さんは言う。「いつも後ろに誰かがいて、操作されているような気がするんですよ。出会って亡くなっていった子どもたちが、見ているような気がします」
もっと横のつながりを
(写真:著者撮影)
そんな坂上さんの元には、小児病棟で実際に遊んでもらった経験を持つ若者たちや、子どもを亡くした母親たちも集まってくる。現在坂上さんと一緒に活動をする村上夕子さんは、脳腫瘍のため8歳で亡くなった息子との闘病生活の経験を「今後の人生に生かしていきたい」と考え、3年前、遊びのボランティアの扉をたたいた。
「親にとって入院している子どもの笑顔は、それまでの疲れやストレスを一気に吹き飛ばすもの」。そんな経験を活かし、毎月2~3回、ボランティアのコーディネートを行い、自らも遊びの輪に加わる。
平日に事務仕事をしてくれる人も含めると、100名以上の人たちに支えられながら、子どもと遊ぶボランティアは、今も少しずつ活動を広げている。
各地の病院との交流会を開いたり、海外の病院を視察したり、親が一息つける場所を提供したり……。
そしていま、坂上さんたちが新たに取り組んでいるのは、全国の小児病棟の遊びのボランティアネットワークをつくること。全国にどれくらい病気の子どもと遊ぶボランティア組織があるかという正確な統計は、まだない。「これまでやりとりをして分かっているのは、だいだい30くらいかな」と坂上さん。
まずは子ども病院、小児病院と呼ばれる病院にアンケートを出し、実態をつかむことから始めようと、会議を重ねている。
NPO法人病気の子ども支援ネット遊びのボランティアのウエブサイト
http://www.hospitalasobivol.jp/
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