たっぷりの野菜に肉。そして魚介。白湯の濃厚なスープに、その味も染み込んだ、薄黄色の煮込み麺。熱々のそれを……。
ソウルフード。もとをたどれば、アメリカの黒人の伝統的な食を意味したようだが、今ではそれを越えて、生まれ育った環境に根ざした食と理解して良いように思う。「魂の食べ物」。
チャンポンの食品模型が並ぶ「水光社 レストラン」店頭。エビフライが載ったものも!
久しぶりに故郷の水俣に戻った折、そのことを思った。豚骨味の熊本ラーメンもそうだが、それ以上に、チャンポンが故郷を思わせる味だった。ちょっとお行儀が悪いが、子どもの頃のように、ウスターソースをかけると、濃厚な味が引き締まり、刺激も増して、さらにソウルフードそのものとなる。
チャンポンといえば長崎。言うまでもない。「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」のモデルになった鄭成功(ていせいこう)(1)や隠元禅師(2)を持ち出すまでもなく、長崎と福建の関係は深く長い。その流れの中で、チャンポンと呼ぶ料理も生まれた。それ自体は明治時代に入ってから誕生したが、数百年に及ぶ福建との関わりがあればこその食文化である。
熊本県でも鹿児島県に接する、つまりは長崎からはかなり遠い我が故郷で、そのチャンポンが子どもの頃から普通に食べられていたのだが、何故かは思い至らなかった。同じ九州だから、当たり前かと思っていた。
今回、里帰りして地元の「喜楽食堂」でチャンポンを食べながら、三代目主人、三牧賢治さんと話して、やっと謎がとけた。天草を経由した海のネットワークだったのだ。
(1)1624-62年。武将。福建省出身の貿易商と日本女性との間に平戸で生まれ、明朝復興に尽力した
(2)1592-1673年。福建省に生まれ、江戸前期に渡来した禅僧。黄檗宗(おうばくしゅう)の開祖
(2)1592-1673年。福建省に生まれ、江戸前期に渡来した禅僧。黄檗宗(おうばくしゅう)の開祖