2024年11月22日(金)

ちょっと寄り道うまいもの

2012年9月7日

 喜楽食堂の初代である祖母、美恵子さんが昭和25(1950)年に開業した頃、天草からの客に「こんな料理がある」と教えられ、作ってみたのだとか。そんな感じで、あっという間に市内に広まった(それ以前に、天草にも海伝いに長崎から入り、定着した天草チャンポンがあった)。

 昭和30年生まれの私が子どもの頃には、すでに食堂やラーメン屋にはあって当然という存在だった。当時の田舎町ではデパートのような存在だった、「水光社」という店で、チャンポンとソフトクリームのセットを食べることが、子どもたちには最高の贅沢だった。

 そういえば、私のルーツも天草だ。父親が天草の御所浦(ごしょうら)という島で生まれた後、家族揃って移住してきたのだと聞いている。作家の石牟礼(いしむれ)道子さんも同じような話を書いていた。珍しいことではないのかもしれない。ならば、二重の意味でのソウルフードだったか。

太平燕

 ところで、熊本県にはもう一つの長崎起源の名物がある。太平燕と書き、タイピーエンと読む。麺ではなくて、春雨が入っているチャンポンのような料理である。熊本市の名物。長崎から九州のあちらこちらに流れて、中華料理店を営むようになった華僑も少なくない。紅蘭亭、会楽園、中華園の3軒が太平燕のルーツと言われているが、みな福建系の二世、三世が経営するお店である。それらの店から発して、名物となった。給食のメニューとなるほどに。

 実をいうと、その熊本名物を私は知らなかった。数年前、熊本市内を食べ歩いていて、はじめて気付いたくらい。熊本市民も水俣名物のチャンポンを知るまい。お互い様。要は同じ県内でもそれほどに違う。ピンポイントで名物が、ソウルフードが形成されることもあるというお話である。同じように長崎をル-ツとしているのに。

 水俣でチャンポンを食べていたら、熊本の太平燕も思い出され、改めて食べたくなった。さて、どこにと熊本市内の知人に相談したら、「肥後めしや 夢あかり」を教えてくれた。


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