2024年4月24日(水)

Wedge REPORT

2012年8月20日

 しかしながら、この頃から2・1ゼネストが実施されるなど労働紛争が激化し、昭和23年にマッカーサー書簡に基づく臨時措置としてポツダム政令201号が即日施行され、公務員の団体交渉権が否定され、争議行為は罰則をもって禁じられる事態となる。国家公務員法は制定後わずか1年で全面改正されることとなり、政治活動に関する規制が格段に強化され、禁止行為を人事院規則に白紙的に委任し、政治活動をほぼ全面的に禁止したうえで罰則を置くという現行法の骨格が作られた。

 これに対し、昭和25年に制定された地方公務員法では、政治活動の規制は職員の行為規範として定められるにとどまり、違反に対する罰則は意識的に置かれず、懲戒処分によって処置することとされた。政府の提案理由説明では国家公務員と地方公務員の扱いの差について特に踏み込んだ言明はないが、国務大臣資料には両法の不均衡につき「近い機会に何等かの調整を考慮する事が適当であると思料する」との文言がみられる。

 同じ公務員であるにもかかわらず、国家公務員と地方公務員の間で刑罰規定の相違が生じた理由につき、旧自治省関係者の解説では、国家公務員法が制定されたのが「戦後の占領時代の初期」であり、「指令部の指導の下に、公務員制度の民主化の推進を十分過ぎるほどに意識し、その実施を刑罰によって強力に担保した」という事情があったが、地方公務員法の制定時期は「占領時代の後期、平和条約発効の2年前」であり、時間的なタイミングのずれがその「最大の理由」であると分析される(鹿児島重治『逐条地方公務員法』学陽書房・昭和57年)。

 大抵の場合、地方は国の陰に隠れて二番手に回されてしまい、国レベルではかまびすしく議論される問題が地方の番になると二番煎じで新鮮味が失われ、国民の関心が低いこともあって結果として問題が放置されてしまう事態は決して珍しいことではない。そういえば、復興財源捻出のための給与削減も、国家公務員については平均7.8%の削減がすでに実施済みであるが、地方公務員はどうなったのか。

 本年2月に成立した国家公務員給与削減特例法の附則では「地方公共団体において自主的かつ適切に対応されるものとする」とされていたはずであるが、まさかそれっきりというわけでもないだろう。こんな具合に、タイミングがずれると、地方の問題はいつの間にか流れてしまいがちなのである。

懲戒と人事委員会
信じがたい実情

 公務員の政治活動に話を戻そう。まだまだいろいろ問題がある。大阪市の条例では、政治的行為の制限違反に対する制裁は「懲戒処分により地方公務員たる地位から排除することをもって足る」との政府答弁に則し、免職を含めた懲戒処分をすることができるとされた。そこで、次なる問題は、懲戒処分は果たして適正に行われているかどうかということになる。


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