2024年12月2日(月)

WEDGE REPORT

2021年2月27日

テント小屋のビニールの壁に11歳の少女が書いた絵

 今更、シリア難民に何を聞けばいいのだろう。多くの日本の人たちの感覚としては、「シリア難民について詳しくは知らないけれど、きっと貧しくて、食べ物に困っていて、教育もなくて、かわいそうな状況にあるのだろう。大変だと思う。でもそれで私に何ができるというの?」そんなところではないか。

 現在、全世界の国外に逃れたシリア難民の数は560万人に登る。とりわけレバノンは多くの難民を受け入れており、人口の4分の1にあたる150万人のシリア難民が暮らしている。そのレバノンは一昨年前から深刻な経済危機下にある。レバノン人でさえも貧困に苦しんでいる状況だ。シリア難民ともなれば10人中9人が極度の貧困状態の生活をしている。

 こういう細かい数字は別として、たぶん、問題は、「問題が知られていないこと」ではなくて、「知られていても何も変わらないこと」のほうなのかもしれない。

 その意味でこれから書くこの記事は特に目新しいことはないのかもしれない。それでも変わらない、いや悪化する日常を繰り返さなければならない人たちがいるということを書いてみたいと思う。そしてそんな状況にあるも関わらず、彼らがシリアに帰らない理由についても。「シリアには危ないから帰りたくない」だけでなく、「どんなふうに人々はシリアに帰ることに恐怖を感じているのか」だ。

 冬のポカポカ日和。左手の車窓に見える地中海が青く輝いている。シリア難民取材に行くにはあまりに明るい光景だった。私と通訳を乗せた車は海沿いの幹線道路から外れ、畑に囲まれた数軒のテント小屋の集まる一画に着いた。

もう何度も繰り返された質問と答えの繰り返し

 突然の訪問者である私たちを50代くらいの女性が洗濯していた手を止めて小屋の中へと招き入れてくれた。

 「よかったらそこのベッドに座ってください。雨が降ると水浸しになるのでみんなでこの簡易ベッドの上で過ごすんです」

 多くの難民は援助団体の聞き取り調査を何度も受けている。彼女もおそらくこのような訪問には慣れているのだろう。そして話を聞くだけ聞かれて、結局は何も変わらないことにやや辟易しなければならないことにも。それでもアラブ人の持つ「客は拒まない」精神で優しく招き入れてくれたのである。

 家の中は、硬い土の上にゴザを敷いただけの床。外と地続きで、雨水を塞きとめるものは何もない。壁といえるものは、細い木の柱に打ち付けたビニールシートと毛布だけだった。

 話を聞かせてくれた彼女の名前は、ウンム・イブラヒム。アラビア語では人の名を呼ぶ時、子どもの名前を使って呼ぶ。彼女、「イブラヒムのお母さん」はこう話し始めた。

 「見ての通り家には何もありません。服を買うお金もないので、今も夏服で過ごしています。夫は病気で体に麻痺があります。数日前まで入院していたのです。息子たちは薬のために働いています。お金がないので買えない薬もあります」

 麻痺の原因は、精神的な病から来たという。子どもたちの将来を思い悩んだことが原因だそうだ。2つの病の関係は定かではないが、戦争がはじまり、様々な不幸が訪れたことで、体も心も一気に悪い方向へと向かっていったのだろう。

 小屋の奥で母親に起こされたばかりの息子たちが寝起きの顔で座っていた。深夜に市場で仕事をしているため、先ほどまで眠っていたのだ。私が母親へインタビューしている間、彼らがすでに日々嫌というほど実感している生活の話を、聞かなければならないことがなんだか申し訳なかった。

 ――薬を買うための支援はありますか?

 「国連からの支援が少しあります。時には食料支援の分を売らなければならないこともあります」

 ――食事は何を?

 「ジャガイモとスープです。ガスがないのであまり調理もできないんです」

 それまで落ち着いた声で答えていたが、その質問が彼女の何かに触れてしまった。食べるということはとりわけアラブの人たちにとって精神的な豊かさなど特別な意味がある。ウンム・イブラヒムは目頭を拭った。かつてはこの家族はシリアのハマで4つの店舗を経営し、ビルの中に家を持っていたそうだ。

 11歳の娘は学校教育を受けておらず、また21歳の息子は読み書きができないという。

 こんな家族が数えきれないほど存在する。

キャンプに永住させないために、政府はシリア難民がブロックやコンクリートなどを使ってテント小屋を強化することを禁止している。山地では冬に凍死する人たちもいるほど。

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