足りない支援
その後、2日間かけて親戚や近所の人を含む9家族を訪問した。その際にいつも聞かれることがあった。
「それで、あなたはどちらのNGOの方ですか?」
「ヨーロッパなど外国で暮らしたいのですが、どうしたら申請できるか伝手はありませんか?」
一度のインタビューで2度3度と、自分は取材者であると説明しなければならないこともあった。ようやくわかってもらえると「あー」と言われ、少し残念そうな顔をされる。
難民となった人たちへの支援がないわけではない。2015年以前にレバノンにやって来たシリア難民はUNHCR(国連高等難民弁務官事務所)に登録することができ、基準に達すれば一定の支援を得られる。現金支援で1カ月1家族あたり175ドル、また食料支援として1人あたり27ドルのカードが支給される。しかし支援がもらえるのは全シリア難民ではなく、金額も十分ではない。
またレバノン政府は難民条約を批准していない。そのため国連などが運営する正式な難民キャンプはなく、難民はテント小屋であってもレバノン人の土地所有者に土地代を払わなければならないため出費が重なる。
「すでに入院費用で100万レバニーズ・ポンド(現在の闇レートで120ドル)の借金があります。薬代にもこれからまたお金がかかります」
「娘は9歳なのに年の割に体が小さいのです。血液の病気があるのです。でも病院に行くお金がありません」
多くの家が病気の家族を抱え、借金を負っていた。
国連だけではなく、NGOなどによる支援もある。しかし援助機関に対しては期待と同時に不信感もある。
「NGOによる教育支援はあります。でもちゃんと教えていないんです。4年間、勉強しているけれども文字が書けません。国連からお金をもらうために学校を運営しているだけなんです」
「自分の子どもの名前を使って募金を集めていた外国人がいました。でも途中から彼女はいなくなってしまいました。お金を持って逃げたんだと思います」
いずれも「印象」と「憶測」の段階の話であり、さらなる取材が必要だ。効果的な支援をしているNGOもあるし、レバノン政府の協力があまり得られないので、一概に国連やNGOの問題とだけいうことはできない。
それでも問題がないわけではない。アクセスのしやすさ、関心の違いで行われる援助にも差が出てくる。2020年8月に起きたベイルート港爆発事故の時の支援は街中にNGOのテントがあふれるほどだった。ここアッカルの光景は対照的なほどに閑散としていた。通訳のSがこうつぶやいた。
「本当にどこの家でも支援はないのかって何度も聞かれて困っちゃうけれど、でも本当に彼らは何も持ってないんだもんね」