2024年12月23日(月)

イラクで観光旅行してみたら 

2020年5月23日

 イラク旅行最終日。バグダッド出身の友人とバグダッドの街をブラブラ歩き。文化の香り溢れる街に魅了されるが、最後の最後までイラクの複雑さに翻弄される。IS(いわゆるイスラム国)支配後のイラクの日常や現地の人々との交流を綴った旅行記の最終回。

バグダッドの古本を売るムタナビ通り

バグダッド一の観光スポット

 今日でイラク旅行が終わる。

 この日、イラクの3つの街をともに旅したイラク人女性ラフィッドと飛行機の出発時間までバグダッド観光をすることになっていた。

 噂に聞いていたとおり、仕事初めとなる日曜日のバグダッドの渋滞は壮絶だった。あらゆる方向から車が来て、前に進んだのかどうかよくわからない。車がおしくらまんじゅうしている感じ。約束の時間に30分も遅れてしまった。

 「さあ、行くわよ」

 アラブ人はよく人を待たせるが、待つのは嫌いだ。待ちくたびれたとか、疲れたとか一言くらい言われるかと思ったが、ラフィッドはそんな間も惜しいというように歩き始めた。

 旧市街にあたるその地域は古き良きバグダッドといった風情だった。通りは車だけでなく、荷物を引く馬や、木製の台車で荷物を運ぶ人でごった返していた。タイムスリップした気分。

 「サライ・マーケット」と呼ばれる場所への入り口をくぐると、古い店が並ぶ空間が広がっていた。天井にはイスラム様式の美しい模様が見える。1660年に建築されたらしい。普通の文房具と革製品のお店がいくつも並んでいた。

サライ・マーケット。売っている文房具はごく普通のもの
サライ・マーケットの天井には美しい模様が描かれている

 文房具しかり、ここが文化の中心だというのはマーケットを抜けた向こう側にある「ムタナビ通り」で本屋街が広がることでも明らかだ。ムタナビという名前もイラクの有名な詩人に由来している。

 この日は平日ということもあって少なかったが金曜日には露天を出して本を売る人たちとそれを買いに来る人たちでいっぱいになるそう。この日、目にしただけでもサダムについて書いた本からカール・マルクスの本まで。タイトルが読めないのが残念だが、表紙の絵はカンジー、ヒトラー、ノーベル賞受賞者のナディア・ムラド、イラクのサダム以前の大統領、マキャベリ、ゲバラの顔と様々だ。

 「ほら、あれみて!綺麗でしょ」

 ラフィッドが時折指差して教えてくれるのは古い建物に残る装飾。たいぶボロボロになっていたり、まわりがごちゃごちゃしているので私なんかは見逃してしまいそうなのだが、バルコニーの裏側に星がついていたり、干しレンガの細工が凝っていたりしている。

 しかしなんとも言えない違和感があった。通りの舗装などはやけに新しいのだ。後で調べるとこの通りは2007年に自動車爆弾テロがあり40人近くが亡くなるということがあった。爆破により壊れたところを新しくしつつ、できるだけ元の景観を保とうとしたためちぐはぐな感じが残っているのだ。どうあっても戦争を感じさせるものはそこら中にある。

薄暗いお茶屋、シャバンデールは涼しく、ほっと一息させる雰囲気がある。お茶屋の主人は2007年の自動車爆弾で息子と孫を4人亡くしている。建物は昔、印刷工場だったそうだ
ムタナビ通りの建物

アーティストが集う公園

 お次は、金曜日にはアーティストで溢れるという公園に向かう。いろんなイラク人に絶対行くべきだと勧められていた場所だ。

 入り口まで来て、警察らしき人がでんと構えて座っているのに出くわした。

 「今日は一般公開していないよ」

 ここまできてそれはない。だが、15歳で結婚し、あらゆる難題に立ち向かって来たラフィッドの問題解決能力を侮ってはいけない。どうするのか。

 「ね、ちょっとだけ、お願い!」

 親しげな笑顔で、しかしキリッとして言う。ふふーんと警察官が考え込む。ラフィッドが私に耳打ちする。

 「ほら、あのジョーク言いなさい」

 うなずく私。ラフィッドが警察官に頼んで、「この子に『中国人ですか?』とアラビア語で聞いてみてください」といい、私に質問させる。

 「わかった、えーっと、君は中国人(シニーエ)かい?」

 「私はシニーエ(お盆)ではありません。お皿(マウン)です!」

 アラビア語がわからないとあまり面白くなジョークなのだが、「シニーエ」というアラビア語の単語が中国人女性と、お盆の2つの意味を持っていることにひっかけたラフィッド直伝のジョークである。私はお盆じゃなくて、お皿。警察官が「へへへ」と笑ったのをいいことに私ももう一通し、下手なアラビア語で言ってみる。

 「ちょっとだけ、おねがい!」

 気分をよくした警察官は「じゃあ、ちょっとだけな!」と言って中に入れてくれた。ちょっとどころか、それから2時間ほどそこにたっぷり居座ったのである。

 そこはオスマン帝国時代1861年に建てられた大きな建物「キシュラ」の中庭だった。あらゆるアーティストや知識人たちが毎週金曜日にここに集まってきて、演奏を披露したり、詩を披露したり、意見交換をしたりなんてことが行われるそう。バグダッドもなかなか乙である。この日は月曜日とあって出入りも制限され、私たちの貸切状態だった。

 ラフィッドが公園に落ちている小さな果物を見つけて興奮し、銀杏拾いよろしく、一緒に拾って歩く。周りの喧騒とは別世界の時間が流れる。

 長らくこの公園は放置されていたらしいが、2012年頃から再建され文化の中心地として蘇ったそう。すこし変わったオブジェもところどころにある。戦争続きのこの国だが、人々は詩や音楽、物語を愛してきたのだ。

軍事組織についての博物館

 だがこの夢のような空間も、突如として生々しさで満たされる。中庭に面した建物の2階のテラスを歩いているとなぜかイラク軍下の組織、ハッシェド・シャービーのロゴを描いた紙が中庭の手すりに絡まっていたのだ。ラフィッドが指をさしていう。

 「ハッシェド・シャービーの博物館があるみたいね」

ハッシェド・シャービーの博物館。この博物館は2019年2月にオープンした

 この連載で私がなんどもくどくどと紹介してきたハッシェド・シャービー(人民動員軍)である。最終日に思いもがけず彼らに特化した博物館を訪れようとは。細長い部屋の中では土嚢で作った塹壕が再現され、その周りにはいくつもの顔写真が飾ってあった。

 「尊い目的のために亡くなった人のことをシャヒード(殉教者)というの」

 部屋の中を回りながら、そうラフィッドが解説してくれた。縦横30センチほどのパネル、青空と雲をイメージした背景にそれぞれの顔写真があり、年齢や出身地も書かれている。ハッシェド・シャービーのロゴも大きく配置されていた。私と変わらない年齢の人も多い。

 写真だけであれば街中の看板でもたくさん見ていたけれど、ここには亡くなった時に身につけていたものも展示されて、より想像をかきたてるようになっていた。スマホ、数珠、お祈りのマットと石、ヘッドホン、スニーカー、時計、彼らが使っていた武器も。

亡くなったハッシェド・シャービーの兵士たち

 ラフィッドが「みてごらん」と言った先には軍服の上にナツメヤシが置かれて展示されていた。兵士がポケットに入れて後から食べようとしまっておいたのだろう。彼がそれを口にすることはもうないのだ。重症を負ったり死亡した兵士を識別するドッグ・タッグも展示されていた。

亡くなった兵士のポケットに入っていたナツメヤシ
サダム・フセインの写真やサダム・フセインの顔がのった昔のお札も。初期の頃はサダムを支持するバース党員もイスラム国に多く含まれていたからだ
室内にはアート作品も展示されていた。窓際で息子の帰りを待つ老いた母の顔。でもその窓には持ち主のいないドッグ・タッグが下がっており息子が帰ることは二度とないことを意味する

 だが、死者を悼んだり、資料として保存するというだけでなく、そこは同時にとても政治的な場所だった。

 イラクのシーア派最高権威のシスターニ師、ハッシェド・シャービーの有力者の1人ムハンディスの肖像画や写真もデカデカと掲げられていたからだ。特にムハンディスは、この私の訪問から約1年後、2020年1月にイランの革命防衛隊コッズ部隊のカーシム・スレイマニとともに米軍に殺害された人物でもある。アメリカ政府からはテロリストとして指定されていた。

ムハンディスの肖像画

 私は短いながらこのシーア派地域滞在の中で、ハッシェド・シャービーの人気を感じるようになった。志願したのは普通のシーア派の若者だったりするのである。

 しかし、人々がハッシェド・シャービー内にあるシーア派組織のことも好むか好まないかは別問題なのかもしれないことも見えてきた。人々の反応から政治組織の話が出た時の表情や言葉少なな様子からそのことを感じる。

 ニュース記事によると、博物館を始める際、最初、文化省は知識人とアーティストが集まる象徴であるこの場所を使わせることにためらっていたそうだ。最終的には1階ではなく2階を使うということで落ち着いたらしい。イラク人の中でもいろいろと意見が割れたのである。

博物館内にあったシーア派政治組織、アサイブ・アル・ハックの旗

愛されるムタナビ地区

 そんな政治的なものを見た後だったが、ムタナビ通りはこの地区に暮らす人たちの愛で溢れているように感じた。昼食は有名なクッバ屋で昼ごはんを食べ、遊覧船に乗り、マネキン博物館を訪ねた。

昼食に食べたクッバ。バグダッドのクッバはドーム型。ひき肉を小麦粉の厚い皮で包んでスープで煮た料理
ムタナビ通りからすぐ近くの一角には昔、ユダヤ人が住んでいた。2017 年頃には芸術家たちが暮らしていたらしく、家々の扉や壁には鮮やかな絵が描かれていた
マネキン博物館にて。嫁にばかり気を使って自分をないがしろにしていると息子を怒る母親

 ラフィッドとの別れはあっという間だった。

 「今日は時間がもうないから無理だけど、また今度バグダッドに来たらいろいろ案内するから!」

 路上でさようならをして、押し込まれるようにタクシーに乗る。もっとしんみりとするかと思ったがあっという間の別れだった。

 いつか彼女はこう言った。

 「一緒に旅をするとその人のいいところも悪いところも見えてしまう。私たちは一緒に旅をした。もうお互いを見ている。友達だね」

 私にとっても、この旅で一番嬉しかったことは彼女と出会えたことだった。


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