イラクで観光旅行してみたら 

2020年5月2日

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伊藤めぐみ (いとう・めぐみ)

中東在住ジャーナリスト

ホームページhttps://itomegumi1483.wixsite.com/website
1985年生まれ。紛争、思想、歴史をテーマに取材。2002年中米ホンジュラス共和国に1年間留学。中部大学卒業国際関係学部、東京大学総合文化研究科相関社会科学修士課程で社会思想を専攻。
2011年よりテレビ番組制作会社ホームルームに入社し、イラク戦争、ベトナム戦争、人道支援、障害者、町工場などをテーマにドキュメンタリーを制作。2018年よりフリーランス。
2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』を監督。第1回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。イランの映画祭、Cinema Vérité ; Iran International Documentary Film Festival、アメリカ・ロサンゼルスの映画祭 LA Eiga Fest でも上映。NHK BS1『命の巨大倉庫』がATP賞奨励賞を受賞。ベトナム戦争についてのルポルタージュが潮ノンフィクション賞にノミネート。
現在、イラククルド人自治区のクルディスタン・ハウレル大学修士課程に留学中。

 今回の私の旅の大半が赤髪ロングヘアーの友人ラフィッドの存在なしにはありえなかった。我が道を行く強さと笑いに溢れた彼女には壮絶な過去があった。IS(いわゆるイスラム国)支配後のイラクの日常や現地の人々との交流を綴った旅行記。前回に続いて、旅の中で出会った人を紹介する。

注文したのは真ん中のご飯と羊の肉料理、クージー。周りの料理は前菜として注文しなくても運ばれてくる

女子会のはじまり

 バグダッド滞在中に、1つお楽しみの予定があった。シーア派聖地ナジャフとカルバラを一緒に旅したラフィッドと、バビロンのツアーで知り合った若者メイやマルワ、ラギーダたちとバグダッドで再会することになっていたからだ。旅で出会った人と約束してまた会えるというのはとても嬉しいことだ。

 ラフィッドとメイたちは知り合いではなかったが、もろもろの都合でみんな一緒に会することになった。

 待ち合わせ場所となったバグダッドモールは豪華で華やかで多くの人で賑わっていた。オシャレなレストラン街は人で溢れている。2017年8月にオープンしたそうだ。カフェのテラス席に座る。これぞまさに「ザ・イラク女子会」だ。

果物を間に挟んだおしゃれなフレッシュ水タバコ

 いろいろなおしゃべりをしたが、この日のメインは何と言っても「想像だにしなかったラフィッドの人生談」を聞いたことだ。50代のあるイラク人女性の話をお聞きいただきたい。

15歳で結婚したラフィッド

 ラフィッドに離婚経験があることは前に聞いていた。だが離婚は1回ではなく、2回していて、最初の結婚は15歳の時だったというのが最初の衝撃だった。

 相手の男は14歳年上の29歳。ラフィッドのお母さんが準備した結婚だった。男はかなりの遊び人ですでに女性経験があった。しかしその男は結婚する女性は、確実に男性経験のない女性がよかったため、15歳の若いラフィッドを妻にとったのだ。すぐに女の子が生まれたそうだ。

 結婚生活は序盤から波乱に見舞われる。夫がもう一人の妻を欲しがったのだ。夫はラフィッドに、その妻候補の女性は処女ではないので、他では結婚できないため自分が面倒を見てやらなければならないと説得にかかった。2人目の妻を娶るには最初の妻、ラフィッドの許可が必要だからだ。ラフィッドは子育てで忙しかったので、夫ともう1人の女と忙しくしておけば自分に構うことがなくなってむしろいいと考え、2人目の妻をとることを止めなかった。

 実際のところは、2人目の妻を迎えるといろんな問題が起きるので、反対すべき理由はたくさんあった。しかしラフィッドはまだ若く事態を理解できていなかった。しかも夫に止められて親にもそのことを言わずにいたため、男の思い通りに事が進んだ。

2人目の妻

 すぐに事態は混沌としたものになった。男が2番目の妻を迎えたことを知ったラフィッドの母親は怒り、ラフィッドとの縁を切ったのだ。もちろんラフィッドのせいではないが、母親は自分に相談がなかったことに腹を立てたのだ。

 しかも夫は2番目の妻と暮らし始めたのでラフィッドはそれまでの家を出て行かざるを得なくなり、かわりに夫の両親たちと暮らすことになった。さらには2番目の妻には子どもができずラフィッドの子どもを横取りしようとまでした。結局は2番目の妻にも女の子が生まれるのだが、今度はラフィッドに男の子ができる。イラク社会では「息子」の存在はとても重要。夫はその息子に固執した。最終的には夫の両親の家のとなりに、夫、ラフィッド、ラフィッドの子ども2人、2番目の妻、2番目の妻の子2人と暮らすことになった。

 新しく住むことになった家では、夫と妻が寝室を使い、ラフィッドはゲストルームを使うことになった。つまり正妻の座は2番目の妻のもとにあるという意味。2番目の妻は仕事をしていたので、ラフィッドが彼女の子どもと自分の子どもと4人の子どもの面倒をみなければならなかった。しかもラフィッドは学校にも通っていた。

バグダッド・モールにあるカフェより

 結婚して11年、ラフィッドはある決断をする。26歳の時に「もう十分だ」と子どもを置いて家を出たのだ。下の息子は当時6歳だった。

 ラフィッドは一度は縁を切られた母親の元に戻った。母親が看護師をしていた大きな病院で会計士として働いたそうだ。初めての仕事で、当時はヒジャーブもして働いていたそうだ。そして夫に正式に離婚を認めさせた。「一度、別れてまた戻ってくるから」などといいように言って嘘をついた。相手を批判して離婚をつきつけても夫は別れてくれないからだ。

 ラフィッドは夫といる間にいいことも悪いことも、うそのつき方も学んだという。そして2度とその夫の元には戻らなかった。夫は本当にケチで、ラフィッドは11年間結婚していてプレゼントをもらったことは一度もなかったそうだ。

キリスト教徒との再婚

 その後、働き始めた数年の間が人生で一番、楽しかった時期の1つだったとラフィッドはいう。職場で出会った男性と恋に落ちたのだ。ラフィッドは言う。当時は本当に彼のことが大好きだった。

 しかし一つ問題が。彼はキリスト教徒だったのだ。彼がラフィッドと結婚するには、彼がイスラム教に改宗しなければならない。夫となる人がイスラム教徒で、妻となる人がキリスト教徒であれば、基本的には両者とも改宗する必要はない。夫婦の子どもは父親の宗教を継ぐことに一応なっているので、イスラム教が力を持つイラクでは、子どもがイスラム教徒であることが重要なのだ。

 しかし今回の場合はラフィッドの夫となるキリスト教徒の彼がイスラム教に改宗しなければならない。キリスト教徒の彼の家族はこの事態に激怒したそうだ。しかしこれもラフィッドの魅力。彼の家族は最終的にラフィッドのことを大好きになる。

 そして一難去ってまた一難。湾岸戦争後、イラクは国連の経済制裁が課せられ、イラク経済は悪化した。1994年、ラフィッドは夫と子どもを連れてアメリカで生活しようと決める。ラフィッドは両親がアメリカで働こうとしている時にアメリカで生まれたので、アメリカ国籍を持つ資格があった。ただその時点では国籍は持っていなかったため、移住のためにアメリカ国籍を持てることを証明せねばならず、それにはさまざまなハードルがあった。

 イラクにはアメリカ大使館がなかったのでラフィッドはヨルダンに渡り、アメリカ国籍を証明する手続きを行った。渡航費用は母親がメッカ巡礼のために貯めていたお金を貸してくれた。ヨルダンでなんとかアメリカ国籍を証明できるも、認められたのはもちろんラフィッドだけ。子どもたちや夫にはその権利はない。ラフィッドが先に渡米して彼らが来られるように準備することになる。ラフィッドは妊娠した体でアメリカへ。

アメリカでの生活

 アメリカでは親戚のおじさんとその友達の家に居候した。しかし滞在6カ月を過ぎると、おじさんに家を突然、追い出される。シェルターに行けと。シェルターは夕方17時から朝の7時まで開いている一時宿のようなもの。シェルターにはあらゆる種類の人間がいた。黒人、ヒスパニック、白人の薬物中毒者。忘れられない夜になった。もうここには1日足りともいられないと、おじさんの友人の妻に電話して助けを請うた。その家でその妻が営む子ども14人の面倒をみるベビッシッターの仕事を身重の体で手伝い、6カ月ほどその家で暮らしたそうだ。

バグダッドの本屋さんで見つけたアニメのフィギュア

 大変な日々だったが、よいこともあった。ある日、友人がおしゃれをしてでかけようと言った。でかけた先では出産前の妊婦を祝う「ベイビー・シャワー」というお祝いをサプライズで30人の女性の友人たちが自分を祝うために待っていてくれたのだ。

 そこでルームメートになるアメリカ人女性とも出会った。彼女は家賃をとることなく部屋をシェアしてくれた。「あなたは夫と子どものために貯金しないといけないでしょ」と言って。当時は英語も下手だったが、言葉を教えてくれた。ピザ屋で働いたりなどし、ついに夫と子ども呼び寄せることができた。

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