2024年12月26日(木)

イラクで観光旅行してみたら 

2020年4月4日

 シーア派聖地ナジャフ滞在2日目。まるでファンツアーのようにシーア派イマーム、アリーの家を訪ねる人たちがいたり、シーア派女子の帰宅後の一コマを見たり、聖なる街のイメージが筆者の中でどんどんと崩れていく……IS(いわゆるイスラム国)支配後のイラクの日常や現地の人々との交流を綴った旅行記。 

シーア派4代目イマーム・アリー・ビン・アビ・ターリブ

先入観を打ち壊せ、恐ろしい人がイケメンへ

 ナジャフの知人宅で目が覚めた。起きた時には部屋の主であるウラはすでに仕事に出かけていた。

 「様子を見に行くね!」と行って、ラフィッドがヒジャーブをしてそろそろと階下へと偵察しに降りて行った。どこに男性の家族がいるかわからない。お客さんとしての家の中での行動はなかなか難しいのだ。

 無事にラフィッドが階下から調達してくれた朝ごはんを食べた後、再び、昨日訪れた隣町クーファに向かう。シーア派の正統な後継者アリーがかつて住んでいた「家」を見にいくためだ。

クーファの街並み
昨日訪れたクーファ大モスクを外から覗く

 一応、神聖なシーア派聖地巡礼の旅を真似しているつもりなのだが、「墓」である聖廟ならまだしも、住んでいた家を訪れるとなるとどうも夏目漱石の生家とか、正岡子規の生家とか有名人のお宅巡り的なノリを連想してしまう。

 それはまるで「ファンによる巡礼ツアー」のよう。手荷物を預けて入場するという行為がさらに観光らしさを高める。

 入ってみるとアリーの家はそれほど大きくはなかった。中はどっしりとした壁がくねくねと広がっている。真ん中に井戸のようなものもある。訪れる人があまりに多いのと、おそらく壁を補強したりいろいろやりつくして、当時の面影など感じないほど綺麗に整備されてしまっていた。

 それでも「想像上の人物ではなくて、ああ、ここに大昔アリーという人が住んでいたのか」と想像することはできる。

奥に見える青色のドーム型の建物が家

 ふと新しい感覚が湧き出て来た。こんなことをいうと全国のシーア派の皆さんに怒られそうだが、私はこれまでアリーやアリーの息子や他のイマームの肖像画を見ると、不気味な、不吉な感じがしていた。

 みな、似たような絵なのだが、まずもってあのお目目ギラギラ、まつ毛が長くて、髭モジャにターバンだ。何か企んでいそうな顔にみえる。

サマラで見た息子アッバスはさらに迫力があった

 しかも私がはじめてアリーらの旗を見たのは、スンニ派が多数派の地域で、イスラム国掃討作戦のために南部シーア派地域から来た部隊が自分たちの存在感を示すために掲げたものだった。

部隊の中にはシーア派色が強いイラク軍の一部門、人民動員軍(ハッシェド・シャービー、当初は民兵組織としてはじまり後に正規軍になった)なども来ていた。スンニ派の住民からは、ハッシェド・シャービーはイスラム国と戦いながらも一般のスンニ派住民にも残虐行為を行なっているなど、悪い噂を聞いていた。私にはシーア派に関連するものを見ると、恐いという先入観を持ってみてしまう節があった。

 しかしここイラク南部、シーア派が多数派の地域で数日間を過ごし、モスク巡りを経験して見ると、驚くなかれ、アリーたちの顔がイケメンに見えて来たのだ。芯のありそうないい男に見えて来る。アリーという人物が悲運な死を遂げた人、優秀で統治能力があったにもかかわらず、裏切られた人で、なんだかすごくいい人だったと感じられて来るのだ。これは新鮮な感覚だった。

イスラム国から解放されたイラク北部モスル郊外の地域。少数だがシーア派の住民が暮らす地域もある。子どもがまとっているのはおそらくイマーム・アリーの息子フセイン2017年4月

 しかもシーア派の人が語るのは具体的な歴史の話なので、一般的な「神の教えは◯◯だ」などという話よりも迫力がある。

 「渇きに苦しんだアリーの軍隊だが、アリーがある岩を動かすと水が湧き出た」「息子たちは殺されて、晒し首にされた」

 そういった話だ。彼らの思いや恨みつらみも具体的に感じる。

 というか、そうなのだ、恨みなのだ。「本当はアリーだったのに…」「殺されてしまったせいで…」というという恨みの感覚が根底にあるのだ。

 前々回も書いたが、池内恵『スンニ派とシーア派』には、「『あるべきだった』統治」、「理想の実現を阻止した不当な現世の権力」つまりはスンニ派の支配に憤り、「迫害されたイマームを悼み、イマームを守れなかった信徒としての自らの境遇を嘆いていく」。このことからシーア派の独自の教義と儀礼として体系化されていったというのだ。

 シーア派の人たちが日々、恨みの感情で満たされているようには感じないが、歴史的経緯を多く語る点など、自分たちの成り立ちに重きを置いていることは十分に感じる。

国際都市ナジャフ

 ということをモヤモヤ考えながらその後、モスクを3つほど見学した。

 こんなことを考える暇があるのは、最初はあんなにも感動したモスクだがここまで立て続けに見ていると、飽きて来るからだ。内装はどれも最初に見たモスクと似ていて銀ピカに改装させている。

 「新しいのも綺麗だけど、昔の姿のまま残そうという発想はないの?」とラフィッドに尋ねると、

 ラフィッドは鼻で笑って

 「ない」

 と言った。

 人々は豪華な柵で囲まれた棺にお金を賽銭のようにねじ込んでいた。圧倒的にイランの紙幣、ホメイニを描いた札が目立った。イラクの紙幣ももちろん、ガンジーの顔を描いたインド紙幣もちらほらあった。

ナジャフのモスクの中。美しいのは確か。警備の人がいいよといって中を撮らせてくれた

 モスクよりも訪問者を見ているのが楽しかった。とにかく国際色豊かだった。

 モスクで人々がお祈りしたり休憩する中に混じっていると、目の前でお祈りをしていた女性が話しかけてきた。パキスタン出身とのこと。ラフィッド曰く、おそらくパキスタンからイランまで飛行機で移動し、イランからイラクまで車でやってきたのだろうとのこと。

 インド、パキスタン、アフガニスタンからの訪問者も多いらしい。お金を貯めて家族みんなで一大旅行に来る。レバノン人はツアーでくる人が多いようだ。30人ほどのグループで、ツアーに同行する宗教指導者的な人もいて、それぞれの場所で説明なり、ありがたい話を聞いているようだった。

ツアー客には女性が多い。みなアバヤなので誰がツアー客かわからくならないよう、目印にスカーフを肩にしていた

 アジア人らしき若者2人組も見つけた。声をかけてみると、中国出身だという。エジプトのアズハル大学でイスラムを勉強しているという。アズハル大学はスンニ派の最高権威機関である。

仕事上がりは「ゲーム・オブ・スローン」鑑賞とひまわりの種

南アジア出身と思われる人たち

 その後、タクシーでラフィッドの友人、お泊まり先であるウラの職場の銀行へ。ウラは青色のヒジャーブに、ピシッとしたパンツ、お尻まで隠れるジャケットを来ていた。職場の中ではアバヤでなくていいようだ。

 ラフィッドはウラの同僚とも知り合いのようでロビーで挨拶、雑談をする。同僚たちが私にも気さくに親切に声をかけてくれる。「ナジャフの男ってかっこいいと思う?」など。

 ただ私自身の話になると、

 「なんでイラクまで来て勉強しているの? 日本の大学のほうがいいでしょ!」と聞かれるのがなんだか居心地が悪い。

 「国際関係を勉強しています。中東のことを勉強したいから来ました」というと、

 「あーー……」

 というなんとも言えない反応が返ってくる。

 言われたイラク人は「私たちの国の悪い問題を見に来たのか」と感じるだろう。嬉しくはない。外国人から「日本の天下りについて研究しています」などと言われれば、一瞬、ぎょっとしてしまうのは不思議なことではない。

 15時頃に仕事が終わり、外に出るとウラはグワっとアバヤを羽織った。

 「ほらね、外に出る時は彼女はこうやってアバヤを被らないといけないの」

 ラフィッドが解説する。仕事場で人と接するのに職場ではアバヤはしなくてよくて、外に出る時だけする。外套みたいだ。

 帰りは同僚の妻子持ちの男性が車を出してレストランに招待してくれた。美味しいご飯をたらふくいただいて、その後はウラの家に帰り、グダグダと時間を過ごす。

 ウラはアメリカの人気シリーズドラマ「ゲーム・オブ・スローン」を見ている。アバヤ女子の帰宅後の一コマ。水色のペラペラの膝丈くらいの部屋着を来てひまわりのタネをぽりぽり食べてベッドに寝転んでいる。茶色がかったウェーブの髪をくちゅっとまとめている。リラックスモードが半端ない。よく見ると部屋には冷蔵庫、レンジ、トイレ、シャワーとすべて完備。

 夕方になって私がおやつのスイカをいただいているそばで、ウラはお祈りを始めた。途中、末娘のカマルがウラの目の前に立ち、チューをねだる。満足してカマルがその場を離れ、ウラはお祈りを続ける。ほのぼのしてしまう。


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