イラクで観光旅行してみたら 

2020年3月14日

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伊藤めぐみ (いとう・めぐみ)

中東在住ジャーナリスト

ホームページhttps://itomegumi1483.wixsite.com/website
1985年生まれ。紛争、思想、歴史をテーマに取材。2002年中米ホンジュラス共和国に1年間留学。中部大学卒業国際関係学部、東京大学総合文化研究科相関社会科学修士課程で社会思想を専攻。
2011年よりテレビ番組制作会社ホームルームに入社し、イラク戦争、ベトナム戦争、人道支援、障害者、町工場などをテーマにドキュメンタリーを制作。2018年よりフリーランス。
2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして』を監督。第1回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。イランの映画祭、Cinema Vérité ; Iran International Documentary Film Festival、アメリカ・ロサンゼルスの映画祭 LA Eiga Fest でも上映。NHK BS1『命の巨大倉庫』がATP賞奨励賞を受賞。ベトナム戦争についてのルポルタージュが潮ノンフィクション賞にノミネート。
現在、イラククルド人自治区のクルディスタン・ハウレル大学修士課程に留学中。

私がイラク観光旅行を思い立ったワケ

 着陸する機内の中で私は一人、感動に打ち震えた。降り立つのはイラクの首都バグダッドだ。

 窓から見える茶色く乾いた大地も私には溢れる期待で潤って見える。イラク戦争、アルカイダにイスラム国、テロに宗派対立。とにかく暗い話題しかなかったバグダッドをこれから訪ねるのだ。しかも「観光旅行」のために。

バビロン劇場

 1年前の2019年春、当時私はイラクのクルド自治区の首都アルビルという町で国際関係を学ぶ大学院生をしていた。それ以前は、テレビのドキュメンタリー番組を制作する仕事をしており、仕事で、あるいは休暇を取ってイラク戦争後のイラクやイスラム国についての取材をしていた。短期渡航を重ねるうちに、もっとこの地のことを住んで学んでじっくり知りたいと思い、仕事を辞めてイラクの大学の学生になったのだ。

 詳しい経緯はクーリエ・ジャポンのこちらの記事、

第1回『「イスラム国」鎮圧後「観光ブーム」のイラクでサダム・フセインについて質問したら…』
第2回『イラクの「意識高い系」が集まるシェアオフィスってどんなところ?』
第3回『
イスラム国の最高指導者バグダディの故郷を訪ねて

 を読んでいただければと思うが、簡単に説明すると私が住んでいたのはイラクの北部にある「クルド人自治区」と言われる場所だ。普通「イラク」といってイメージする「アラブ文化」のイラクとはちょっと違う。

 住んでいる人たちもクルド人と呼ばれる人たちで、クルド語を話し、独自の文化を持っている。治安もよく、外国人の出入りもかなり多い。

 学生生活から半年ほどたった頃、「ザ・アラブのイラクを知りたい」、特に「イスラム教シーア派の暮らしを知りたい」と思い、イラク南部旅行を思い立った。ただ治安の問題やアクセスの難しさからイラク南部旅行はそう気軽に行けるものではない。知り合いのつてを辿り、情報収拾を重ね、ある人の紹介で首都バグダッドにある旅行会社を知り、地元イラク人向けの観光ツアーに参加することになったのだ。IS後のイラクでは当時、プチ観光ブームが起きており、私はそれに便乗することができたのだ。

 これはその際の数日間の記録。残念ながら現在は1年前と比べて治安は再び悪化し、観光でイラクを巡ることは難しくなってしまった。今思うと、イラクで観光旅行をしてきたなんて自分でも信じられない。それでも旅先で出会ったお茶目なイラク人のことを忘れたくなくて、ここに小さな旅行記を記してみたい。

大型観光バスはヤシ林を横目に南下する

 4月中旬のイラク。イラクの観光旅行会社が企画した1日・日帰りツアーに参加する。目的地は4000年前にはじまったバビロニアの帝国の中心地だった場所、バビロン遺跡だ。

 待ち合わせ場所となるレストランの駐車場に到着すると、ツアー参加者らしき若者集団をみつけた。挨拶をしてみると、赤十字国際委員会(ICRC)で働く職場仲間で参加するのだと自己紹介してくれた。

 国際機関で働いているだけあってか、飄々としている。家族と離れての女性だけでの外出や、男女での外出はどれくらい可能なのだろうかと思っていたが、不可能ではないようだし、キャッキャッしていて男女で楽しそう。

 バスに乗り込むタイミングになると、若者メンバーの1人メイが、「さあ乗り込もう」と声をかけてくれた。

 「私たちと一緒にいていいからね。もし私があなたみたいに1人で旅をするなら、寂しいって思うだろうからいうんだけど」

 優しさにほっこりする。

 大型バスに乗って出発。もうこれは典型的なザ・観光バスツアーだ。

 バグダッドから南へ向かう。道中にはヤシの木が多い。イスラム国が支配した地域とは少し離れているので、検問所で止められることは一度もなかった。

 2時間ほどで到着したバビロンの町は燦々と太陽が眩しかった。

 最初に訪れたのはバビロン劇場の遺跡だった。遺跡は真っ青な空を背景に、黄土色の日干しレンガでできた壁と急な階段席がぐるりと半円形に聳え立っていた。青とオレンジ、二色の対照的な色が目に突き刺さる。バビロン劇場は紀元前300年頃にアレキサンダー大王が建てたと言われている。

 ガイドの女性の説明によると、

 「この劇場で歌や踊りを披露したりしていました。またライオンに人間を食べさせるなんてこともしていたんですよ」

 人食いショーなんてゴメンだけれど、こんな豪華な野外劇場で劇や音楽を楽しんだというのはなかなか素敵だ。

 ガイドの人が説明を続ける。

 「現代になってからもこの劇場でサダム・フセインが一時、国際音楽祭を開いていました」

 これが私の今回のバビロン旅行の第1の「?」だった。

 イラクの元大統領、サダム・フセイン。恐ろしい独裁者として知られ、1991年の湾岸戦争でアメリカと戦い、2003年のイラク戦争でも再びアメリカと対峙し、最終的には政権は崩壊し、イラクの法廷で処刑された人物だ。

 そのサダム・フセインが1991年の湾岸戦争の頃に、敵対したアメリカとその同盟国に対して、抵抗・服従拒否を示すためにこの場所で音楽祭を開いていたというのだ。

 音楽祭には世界40カ国から人々が集まることもあったらしい。日本からの参加者もいたと聞いたことがある。サダムもこの劇場が気に入っていたのだろうが、人食いショー並みに音楽祭開催の歴史は人間の欲や権力が詰まっていそうで、遺跡が生々しく見えてしまう。

 「サダムめ、私の旅の邪魔をしおって」

 だがこれは序章に過ぎなかった。

イラクを吸収する在外イラク人

 劇場を見学した後は、紀元前6世紀に存在したバビロン帝国の首都だった場所の遺跡群に向かう。

 どれくらい昔かというと、世界史の教科書で「クロマニヨン人」や「ネアンデルタール人」の次に出てくるくらい大昔だ。

 イスラム教もキリスト教も存在していない。というかこの時代のことが旧約聖書に出てくるくらい大昔だ。(念の為に書くと、旧約聖書はある程度、史実に基づいている)。

 「バベルの塔」の話に出てくる建物もこの時代、場所に作られようとしたといわれている。人々は天国に届こうとして塔を建てようとしたが、神はそのような行為は人間を思い上がらせてしまうと考えた。世界中の言葉をバラバラにして一緒に働くことを困難にし、塔を建てるのを不可能にしたという話だ。

イシュタール門のレプリカ。本物はドイツにある。戦争の女神、イシュタールのために建てたといわれる
オーロッコスという牛の祖先と、ワシ、ライオン、トカゲのなどを組あせたムシュフシュという霊獣

 まずは博物館内を見学することに。ただ残念ながら解説はアラビア語なので、言葉がわからない私は途中で飽きてしまい中庭に出ることにした。

その時、ちょうど後ろである声がした。

 「私はイラク人です!」

 私に理解できる数少ないアラビア語の1つだ。タックトップに半袖のおじさんが、もじゃもじゃ頭の観光客おじさんにそう言いながら、博物館から出てきたところだった。少しプリプリしている。こういうのが面白い。おじさんと目が合い、やや機嫌が治ったのか、自然と英語で会話が始まる。

 「あなたはどこから来たのかい?」

 『日本です。どちらからいらしたんですか?』

 「イラク人だけどね、もう長くニューヨークで暮らしているんだ」

 道理でこの見た目。タンクトップに短パン。アメリカナイズされているのでイラク人には見えない。

 先ほど何があったのかと聞くと、たまたま居合わせたレバノン人観光客のお節介おじさんが英語で展示品についてタンクトップおじさんに解説していたそうだ。レバノンおじさんはイラクおじさんをアラビア語のわからない外国人と勘違いしていた。レバノンおじさんのように英語が使えることが嬉しくて、外国人に世話を焼くという人はたまにいる。

 最後の最後にレバノンおじさんが英語で「どこの出身?」と聞き、「私はイラク人だ!」とアラビア語で答えたというオチだ。レバノンおじさんのバツが悪そうな顔にあらためて同情してしまう。

 タンクトップおじさんは他のおじさん仲間に「こんな格好だからイラク人っぽくないんだよ」と突っ込まれ、

 「だって何も聞かずにいきなり英語で話し始めるんだから」

 とブスッとして答えていた。

 一緒にいる彼の友達らしきおじさん仲間も、外国在住らしく、イギリスとドバイに住んでいるイラク人だった。休暇か何かでイラクに戻り、生まれ故郷であるイラクの観光地を旅しているようだった。

 この日のツアーには外国在住イラク人の参加率が高かった。他にもアラビア語を全く話さないティーンエイジャーの2人の息子連れのイラク人らしき家族もいた。母親はイラクの歴史に関心を持たせようとしていたが、母の心子知らず、息子たちは「遺跡、マジつまんねー」という表情をしていて笑ってしまう。

 彼らはみた感じそれなりに裕福そうだったが、異国の地で一から生活を築き上げ、必死に働き、こうして時たま故郷イラクに戻ってくるのだろう。ようやく取り戻した一応のイラクの安定の上で、見てこなかったイラクを吸収しようとしているのかもしれない。

参加者の人が気遣ってかわるがわるに私のために通訳をしてくれた
バビロン遺跡。バビロン遺跡は湾岸戦争以前は毎年外国人15万人を受け入れる観光地だったという

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