イラク人一般家庭にお泊まりすることになった筆者。イスラム教シーア派の本拠地の1つナジャフのもつ意外な夜の顔とは? IS(いわゆるイスラム国)支配後のイラクの日常や現地の人々との交流を綴った旅行記。
イラク版「飴ちゃんやるわ!」
思いがけず、イラクで一般家庭にお泊まりすることになった。ラフィッドの友人の家に泊まらせてもらえるというのだ。
旅行中のラッキー項目はいくつかあるが、このお泊まり経験はかなりポイントが高い。アバヤを脱いだ後の生活とは?家では何を食べるの?家族関係ってどんな感じ?好奇心をそそる出来事がいっぱい。
一応、ラフィッドに「迷惑じゃないかしら」と遠慮の姿勢を見せると、彼女は私にこう返した。
「私の友だちはお客さんを迎えることに慣れているから大丈夫。それにね、アルバイーンというイスラム教の行事の時は隣の街、聖地カルバラを目指して国内外各地から大勢の人が歩いてやってくるの。
その際にナジャフを通っていくのだけれど、私の友人の家も、ナジャフの人も、大抵は見ず知らずの人を自分の家に泊めさせたり、休ませたりしているの。
いいことをするとその行いが神にカウントされるから特にね。ある家の人が旅人に『お願いだからうちで休んでくれ』と頼み込んでいるのを見たこともあるわ」
アルバイーンとは何か。シーア派初代イマーム・アリーを継ぐはずだったのがフセイン。しかしフセインは戦いに敗れて亡くなる。そのフセインが亡くなった日をシーア派の人たちは「アシュラ」といい、その40日後のその死を再び悼む日を「アルバイーン」と言い、この「アルバイーン」の時にナジャフの隣の街、カルバラに到着することを目指して世界中のシーア派の人たちがナジャフやバスラなど各地から、カルバラを目指して各地から歩いて来る。
家に泊まらせたがるということに関しては、イスラム教に限ったことではないが、それでも特にイスラム教では「いいこと」をすることがとても重視される。
バグダッドに着いてからよく、見知らぬ人から飴玉をもらうことがあった。これもあげた人の「いい行為」にカウントされるらしい。
私が旅した日にち付近の、2019年4月21日はシーア派の後継者の一人、「隠れイマーム」、マフディの誕生日でもあった。
シーア派は11代まで自分たちの指導者であるイマームを血統と指名で決めていたが、12代目に入ってから誰がなるかで揉めた。最終的には、「11代には本当は子どもがいた。その子がなるべきだが、でも公にするとスンニ派などから殺されちゃうから隠れている。しかるべき時にその子どもが現れる」という解釈が出て来た。
そのマフディの誕生日とあってモスクの周りの市場も活気にあふれ、人々は余計によい行いをしようとしていた。ラフィッドはもらった飴やチョコレートを大事にとっていた。
ラッキー体験お泊まり
タクシーで15分ほどでラフィッドの友人の家へ。幹線道路からちょっと入り込んだ静かな住宅街にあった。近所の家にはアリーの旗がかかげてある。ラフィッドが玄関の門を叩く。しばらくすると小さな女の子の声で門の内側から返事があった。
「メノ?(イラク方言で誰という意味)」
そう答える声。ラフィッドが私に小声で、「アーニ(イラク方言で私という意味)」と答えろうと囁く。
私:「わたしー」
女の子:「だあーれ」
私:「わーたーしー」
女の子「だれなの?」
私:「わたし、わたし」
知らない声で、おかしなアラビア語の発音。女の子の当惑した感じが声から伝わって来て、申し訳ないが笑ってしまいそうになった。女の子は鍵を開け、そのまま大急ぎで家の中に走って戻っていった。開けてもらってありがとうだが、こんな防犯で大丈夫なようだ。
門をくぐるとタイル張りの綺麗な庭に、2階建ての大きな家が待ち構えていた。比較的新しい一見、普通の家だった。扉を開けると小さな居間とキッチンのある部屋があった。家の中では年配の女性と、その娘らしき女性と、7、8歳の女の子2人、歩きはじめたばかりの赤ちゃんがくつろいでいた。もちろんみなアバヤもヒジャーブもしていない。
「どうも、こんにちは。はじめまして!」
何がなんだかわからないまま挨拶する。
ラフィッドと私は奥の応接間らしきところに案内され、果物とスイーツの歓待を受ける。灰色のソファーがコの字型にある。迎えてくれたわりには彼女たちはもとのキッチンに戻ってしまって、本当に友達なのだろうかと不安になってしまった。そこへ1人の女性が帰って来た。
「きゃー、うわー、ヒャー!!!」
ラフィッドとその女性が喜んで抱き合っている。そうその女性ウラがラフィッドの友人だった。再会は全身で喜ぶ完全に女子のノリだ。
ウラは落ち着いた青のヒジャーブがおでこからのぞき、その上からアバヤを着ている。年は30歳前後と行ったところ。典型的な、ザ・敬虔なイスラム教徒の格好をしているのだが、その目はいたずらっぽく輝き、口元からはユーモアが溢れていた。日本でいう元ヤン的な匂いがする。
はしゃいでいて入る隙がないのでしばらく見守る。その後、簡単に私も自己紹介をする。久しぶりの再会のようなので、私は遠慮して、積もる話をするために2人は2階のウラの部屋に行った。
私は1人応接間に取り残された。出されたメロンとスイカをたらふく食べ、ソファーで寝転がった。ウラの2人の娘たち、門を開けてくれた7歳くらいのカマルと、13歳くらいの姉のマリアムがかわるがわるに覗きに来たが、恥ずかしいのかすぐにまた出て行く。子どもたちと遊んだり、隣の部屋の様子を見に行こうか思ったが、それを阻む何かを感じだ。なぜか隔離された感がある。この違和感の正体がわかるのはもう少し後のこと。
モスクの前での夕暮れのひと時はくつろぎの時間
数時間経ってウラとラフィッドが2階から降りて着た。話しまくったようですっきりとした顔をしている。
「これから出かけるよ! ドライバーが到着したから」とウラ。
専属運転手でもいるのかと思ったら、中東版ウーバーの「カリーム」だった。行き先はナジャフの隣にあるクーファという町の市場とモスクだ。クーファはイマーム・アリーが自分がイマームになった際に首都を置いたところだ。
ウラ、ラフィッド、マルヤム、カマルと私で向かう。姉マルヤムはウェーブの美しい髪をピンクのヒジャーブで隠し、その上からパーカーのフードをかぶっていた。ヒジャーブが嫌いなのか、新しいファッションなのかわからないが斬新な格好だった。
モスクの前の小さな市場はまるで夜店屋台のような明るい雰囲気だった。涼しくなる夕方や夜のほうが活気がある。出来立てのクッキーをもらったり、作っているところを見学させてもらったり人々は穏やかでフレンドリー。
その後、目の前のモスク、「クーファ大モスク」に私とラフィッドと2人で入る。モスクはいつもいい香りでいっぱいだ。このモスクは中央が四角い屋外の広場になっていてそこを取り囲む形に建物で囲まれている。夕闇が迫り、広場から見える空が一層、青さを増していた。
私たちの荷物を預かっていてくれたウラとカマルと交代し、今度は彼女たちがモスルに行く。モスクの前でラフィッドとマルヤムと一緒に3人で待つ。
モスクの明かりと、群青色の空と、黒いアバヤ。人々はモスクの外で座ってくつろぎ、ゆっくりと歩いていた。なんだろうかこのとてつもない安心感。待っている間、物乞いの子どもが着て、ラフィッドが1000イラクディナール(100円)をあげていた。ナジャフにもそんな子どもたちがいるのか。
ナジャフのナイト・ライフ
夜はナジャフの繁華街をみんなで歩く。薄々は気づいていたが、聖なる都市は全然、聖なるだけじゃなかった。
まず、洋服屋さんがたくさんある。そして足むき出し、胸強調の華やか、キラキラドレスが大量に売られていた。ヒジャーブの下や、女性、身内だけのパーティー用に着るのだろう。アメリカブランドのスニーカーショップ、スケッチャーズも、トルコ初のおしゃれファスト・ファッション・ブランドDeFactもあった。ウラは得意そうに言った。
「ナジャフには2つの顔があるの。聖なる街の顔と、ナイト・ライフ溢れる街の顔とね!」
夕食を食べに訪れたレストランも超絶にオシャレ。花が咲く綺麗なテラス席もある。ゆったりと席についたのでおしゃべりを楽しむことにする。
「二人はどうやって知り合ったんですか?」
二人は顔を見合わせて笑った。そしてラフィッドがこういう。
「フェイスブックよ」
なんとまあ。少人数のイラク人の非公開のグループがあるらしく、2人ともそこのメンバーだそうだ。
「オンライン上で何年かやりとりをしていて、意気投合しちゃってね。ウラがナジャフに遊びにおいでよと誘ってくれて、それ以来、ナジャフに何度も来ているの。ウラがバグダッドにくることもあるのよ」