もう1つの聖なる都市カルバラへ。シュメール文字が読める「大物ガイド」も加わって遺跡巡りに出発する。しかし旅は自由奔放なイラク人に振り回されっぱなし。IS(いわゆるイスラム国)支配後のイラクの日常や現地の人々との交流を綴った旅行記。
理想的な大物観光ガイド
アラームが鳴り、ウラの部屋のベッドの上で目を覚ました。午前4:30。私は寝ぼけ眼でスマホから1通のメッセージを送った。
メッセージの相手はナジャフ在住で、次の目的地カルバラをガイドしてくれる男性。前日に彼から午前5時に出発しようと言われていたので、最終的な集合場所を確認するために連絡をしたのだ。もう1つのシーア派聖地カルバラを知識豊富なプロのガイド付きで観光するのだ。
そのガイドについては、事前に旅行会社の代表アリ・マフズミが電話で話をつけてくれていた。アリ・マフズミは自分でバグダッドから同行する個人ガイドを手配できなかった不名誉をなんとか挽回したかったようだ。
「観光局で働いている人だよ! しかも一般の人が入れない場所に入れる許可も持っている。それにね、古代文字『シュメール文字』が読めるというスペシャリスト。日本人の観光客は初めてだから無料でガイドしてくれるって!」
激推しするのだ。一瞬、「観光旅行でシュメール文字の翻訳・通訳は必要ないことない」とつまらないことを言ってしまいそうになったが、よく考えれば知識豊富な大物先生がわざわざ好意でやってくれるというのなら断る理由はない。
大物先生が二度寝したらしく結局午前7時まで待ってウラの家を出発した。守れないのに早めに時間設定する。ますます大物感が出て来る。
ウラとさようならの抱擁を交わし、待ち合わせのバス乗り場へとタクシーで向かう。
バス乗り場は砂っぽい土地にいくつものミニバンが止まり、人の行き来が激しい場所だった。乗り場の入り口でタクシーの中から電話で先生に連絡をする。
先生はラフィッドの電話にすぐ出てくれた。お互いの居場所を伝えながら人混みの中から電話の相手を探す。相手も電話で話しているはずだが、見えるのは電話をしているひょろっとした小柄な若者だけだ。一体、どこに我々の大先生がいるのか。
シュメール文字が読めるというくらいだから考古学の発掘で日に焼け、教養がありそうな感じの男性だろう。50代くらいだろうか。しかし電話をしているのはさっきの細身な青年だけ。その青年が我々の視界を遮るように、こちらのタクシーに向かって歩いてくるので余計に探しづらい。黒いリュックを背負い、学生のようだった。さらには彼は乗合タクシーと間違えたのか我々のいるタクシーのドアを開けた。そして衝撃の言葉を放った。
「はじめまして」
私の思い込みは一瞬で破壊された。我々のガイドはピチピチ青年だった。彼が我らの求める人物、カルバラでのガイドとなるアリ・ブナヤンだった。
パイを頬張る可愛い軍人
ナジャフからカルバラまでミニバスで1時間弱移動する。バスを降りて、朝ごはんを食べながらようやく簡単に自己紹介をすることになった。
「こんにちは。アルビルで大学院生をしています」
自己紹介をするとアリ・ブナヤンは爽やかに笑って聞いていた。比較的イケメンなのだが、ブナヤンという名前が、「かねやん」とか「としやん」とかお茶らけ少年の名前のように聞こえ、さらに魚の「ブナ」まで連想させるので、ややイケメン・パワーが和らぐ。
アリ・ブナヤンはそれほど英語が得意ではないようだったので、ラフィッドとアリ・ブナヤンのおしゃべりを見守る。まあ、イラク人同士まずは仲良くなってもらったほうがいい。意気投合したようで3人ともノンストップで話し続けている。
それにしても私も少しくらいは会話に混ぜてくれてもいいのにと退屈が限界に来た頃、1人の軍人が店の中に入ってきた。狭い店内、我々と同じテーブルにデンと座った。
「どこの国の人間だ?」
私の顔をちらっとみて、ラフィッドたちに話しかけた。軍人独特の「私の質問に答えて当然」風の態度だ。軍人は両手でパイを掴んでモシャモシャ頬張っているので若干、かわいい雰囲気も醸し出しているのだが、尋問のようであまり気分のいいものではない。ここでは「悪いことをしていないなら堂々としていればいい」という道理が通じない。
ラフィッドが笑顔でシンプルに答える。
「日本人です」
軍人「何をしている」
ラフィッド「観光です」
軍人「仕事は何だ」
ラフィッド「学生です」
緊張した顔をしていると怪しまれそうので、ヘラヘラ笑って「何話してるのかな〜」という子犬のような天真爛漫さを装い、ラフィッドと軍人の顔を交互にみてみる。
軍人「何を勉強している」
ラフィッド「文化です」
ここで「国際関係」と言わないところがミソ。私もできるだけ政治の匂いがしないほうがいいと感じた時には「文化」という言葉を使う。なるほど、ラフィッドもやっぱり「国際関係」と言わない方がいいと思っていたのかと妙なところで納得。
ラフィッドが軍人の対応を全てしてくれたので、あとは私が下手くそなアラビア語で、
「ワタシは日本人です。アルビルの学生です!」
といって、軍人を「へっへっへっ」と笑わせて会話終了。
あとで「いろいろ聞かれて緊張したわ!」というと、ラフィッドは「彼の知ったこっちゃないのよ!」と一言でビシッと決めた。笑顔で対応しながらも、やっぱり嫌だったようだ。
イラクのグランドキャニオン
アリ・ブナヤンが交渉してタクシーを1日5万イラクディナール(5000円)で貸し切る。カルバラ市内の観光はまずはすっ飛ばし、西へ1時間ほどの岩石砂漠へと向かう。
「アメリカのグランドキャニオンって知ってる?そこみたいな場所だから」
そうラフィッドから聞いていた。目的の場所に近づくにつれ、道路脇にそり立つ岩の壁が広がる。ところかしこに赤い旗が立っていた。ラフィッドいわく赤色はアリーを象徴する色なのだそうだ。
岩山に気を取られつつも、まずは麓にあるモスクへ。ここではシーア派初代イマームのアリーの軍隊が渇きに苦しんでいた時、ここでアリーが岩を取り除くと水が湧き出し、水を補給することができたそうだ。
モスク参拝を終え、岩山に近づくとさらにその奇抜な形が明らかになった。奇妙キテレツな岩が真っ青な空の下でニョキニョキと生えている。どこか他の星にたどり着いたみたいだった。
そしてよく見ると岩がキラキラ光っている。塩分が固まったものや、鉄、硫黄なども含まれているらしい。そういえばここに来るまでの道で大型トラックを何度もみた。大規模な採掘が行われているのだろう。砂地もあり、砂はサウジアラビアに建設用の砂として運ばれるとも聞いた。
家族連れも多い。子ども、旦那とともにやって来たアバヤ姿の女性たちが裾をたくし上げて、岩の急な坂道を必死で登っている姿を見てこっそり笑ってしまう。アバヤは岩石砂漠探索には最もそぐわない衣服の一つだ。
「ねえ、写真撮って!」
「はいはい」
アリ・ブナヤンと撮影が上手なラフィドがさっきからこのやりとりを繰り返している。硬派な研究者肌だろうかと思っていたアリ・ブナヤンだが、意外とナルシスト的な要素のある青年だとわかった。岩場は絶好の写真スポット。自分の写真を撮らせまくっているのだ。
アリ・ブナヤンは高いところにある岩の上のヘリにカメラに向かって横向きに立ち、手は後ろで組み、足は少しクロスして、少し背中を反らせ顔だけカメラ目線でこちらを見る。青年アイドルが「ん? 僕のこと呼んだ?」みたいな爽やかな顔で振り返る図といったら伝わるだろうか。
他にも目をつむったまま空を見上げ両腕を下向きに開いて「天に吸い込まれそうな僕」みたいな図とか、「腕を組んでニヒルに笑う僕」とか、いろいろやってラフィッドに写真を撮ってもらっている。
こちらの人はセルフィー大好き、ポーズも慣れているのかもしれないが、生で撮影風景を見るのはどうにもこうにもむず痒い。しかもイラクの古代文明の研究し、シュメール文字も読める彼のイメージがガラガラと音を立てて変形していく。大丈夫か、このガイド。
荒野の中の巨大な要塞
次の目的地、ウクハイデル要塞に向かう。
「この辺りはスンニ派の地域だよ」
ラフィッドがそう言ってニヤリと笑った。おそらく宗派の話は好きではないけれど、私が知りたがっているのを察してのことだろう。
圧巻だった。タクシーで走ること30分ほど。乾燥した大地に突如として巨大な四角い建造物が現れた。その佇まい。いかなる軍勢も通しはしまいという静かな威厳。長方形に176メートルと146メートルの広さで、巨大な円柱の監視塔と壁が交互に続く。ウクハイデル要塞はユネスコの世界遺産暫定リストにも登録されている。
入り口には警備に2人ほど軍人がいるだけで、あたりはひっそりとしていた。世界中から人が来る人気観光地となってもおかしくない場所だった。アリ・ブナヤンはここが出番とさっそく解説を始める。これがガイドと訪問する際のメリットだ。しかしそう思っていた私が甘かった。
アリ・ブナヤン「アラビア語〜」
ラフィッド「アラビア語〜?!」
アリ・ブナヤン「アラビア語〜!」
ラフィッド「アラビア語・・・・」
アリ・ブナヤン「アラビア語〜」
ラフィッド「アラビア語〜〜〜〜〜!」
次の場所へ移動。
わたし「???」
というか2人ともすっかり私の存在など忘れているのだ。興奮しすぎて、アラビア語で話しまくっているのだ。
「なになに!?」と悲痛な声をあげる私。もう雑談しているのか、何か歴史の話をしているのかもわからない。
ラフィッドも前からずっと来たいと思っていた場所だったそうで興奮して、通訳をするのを忘れてしまっているのだ。アリ・ブナヤンもここに来たのは2度目らしく、同じく、考古学魂が暴走したのかもしれない。
かろうじて聞き出した話と、帰ってから調べ直した情報によると、この要塞はササン朝、あるいはアッバス朝の時代に建てられたらしい。どちらの時代に作られたかはまだ決着がついていないらしく、この違いはペルシア(イラン)の時代か、アラブの時代かという「俺たちの時代のものだ」合戦とも相成っているらしい。
アリ・ブナヤンの見解によると、作られたのはササン朝だと思うがその後、アッバス朝に増築されたと思うとのこと。ササン朝はイスラム文化ではない。アッバス朝の特徴であるモスクもこの要塞にはあるが後から付け足したのだろうとのこと。
日本の調査団もこの地にきたことがあるそうだ。観光地化しようという計画が、70年代、80年代にあったが、イラン・イラク戦争で中断し、整備は途中でストップしてしまったらしい。イラク戦争後の混乱でも、盗賊などがこの場所を隠れ家にして使っていたという。
2時間ほどかけて要塞の中をあちこちを探索した。1人離れて巨大円柱を並べた塀を眺めていると、アリ・ブナヤンがこちらにやって来た。
「どう?」
「すごいなと思う」
「僕も本当にすごいと思う。イラクは素晴らしい文明をもっているからね。でも政府が酷いんだ」
本当にイラクの古代文明が大好きで勉強している人の言う言葉には重みがある。お互い言葉がそれほど通じないのに、わざわざ私のところまで来て声をかけてくれたのも嬉しかった。