2024年12月26日(木)

イラクで観光旅行してみたら 

2020年4月19日

 いよいよ聖地カルバラの内部へ。聖廟のまわりはまるでピクニック会場のようかと思えば、感極まって涙を流す人も。明るいカオスがそこにはあった。IS(いわゆるイスラム国)支配後のイラクの日常や現地の人々との交流を綴った旅行記。

アッバス聖廟の前でくつろぐ人たち

「活気」溢れる聖地で宗教談義

 時が止まったような大昔の遺跡を辿る旅からカルバラ市内にやって来て、一気に現世に戻された。

 現在、カルバラは変化の真っ最中、絶賛大工事中だ。巡礼者による混雑解消のため地下トンネルもつくる予定もあるらしい。町中に大きな看板が建てられていて、2016年から始まり、2022年をめどに「第一段階」の工事が完成することになっていた。

工事計画を示した看板

 もちろん女性はみんな真っ黒アバヤだし、宗教指導者やいろんな政治グループの看板で街中は溢れている。無機質だった遺跡と比較すると余計に、「宗教」が人間臭いものと感じる。

 街中にはあちこちにホテルがあった。イラク各地、海外からも巡礼者がやってくるからだ。ホテルは私とラフィッドが同室で、アリ・ブナヤン用にもう1部屋、合計4万イラクディール(4000円ほど)。

 部屋で休憩をしてからいざ、街へ。廊下で待ち合わせたアリ・ブナヤンが私の花柄アバヤ姿をみて声をあげた。

 「なんでそんな格好をしているの!」

遺跡を見ている時は、普通の格好に軽くヒジャーブを巻いていただけだったからだ。でもこれから向かうのはモスクだ。

 「だって、こうしないといけないんでしょ?」

 あなたたちの文化・慣習が理由だと言いたくなるも、「着なきゃダメ!」と言われるよりはいいのかもしれない。アリ・ブナヤンは半袖のTシャツ。男はなんて身軽なのだろう。

 ここからがカルバラのナイトライフを堪能する時間。時刻は夜の8時に近い。

 市内は商店街が広がり、「古き良き」町と表現したくなる雰囲気。都会の雰囲気もあるナジャフとは違った趣のある活気がある。

店先ではお菓子に、衣服に、おもちゃを売っている。夜でも巡礼者、観光客であふれている
お菓子屋を売る店。モスクに入らなければこういう格好でもよい

 適当に入ったレストランで夕食にケバブを食べる。アリ・ブナヤンが珍しく私に質問をしてきた。

 「宗教は何?」

 こちらではよく聞かれる質問でもある。

 「仏教徒みたいな感じかな。でも、日本人は神道、仏教両方の儀式をしたり、クリスマスも祝ったりするから…」

 特に私は特定の宗教を信じているわけではない。でも、無宗教をこのイスラム圏で表明するのは「神を信じないヤバイやつ」と思われ、安全上よろしくないので仏教徒と答えるのが無難。でも友達になった人に嘘をつくのは嫌だなと思い、迷った末、

 「仏教徒って言ったけど、うーんとね、私、本当は宗教ないだ」

 そう付け足した。

 隣で聞いていたラフィッドが大爆笑を始めた。

 「なーんだ、結局そうなんだ!」

 「いや、でもね、神を否定するとかじゃなくて、特定の宗教がないというか・・・。こうやってイラクで「自分は無宗教だ」って言うのちょっと怖いんだよ!」

 わかってるじゃないという顔でラフィッドが、

 「そうそう、『無宗教だ』って言うのは誰にでもしていい話じゃないからね!」

 ラフィッドは信仰は深いけれど、私が宗教はないと言っても笑い飛ばしてくれる。そんな彼女と旅行できる幸せを噛みしめる。

 もう少し宗教のことを聞いてみたい。直球で聞くのも芸がないので、聖地とからめて、

 「アリ・ブナヤンはナジャフは好き?」と聞くと、

 「好きだよ。でもバグダッドのほうがもっといいかな、もっとコンフォータブル(快適)でオープンマインドだから」

 「どの部分が?」

 ラフィッドがかわって答えた。

 「ここはいろいろ複雑(コンプリケイティッド)なのよ」

 レストランでできる話、できない話といろいろあるのだ。

テーマパーク感満載の聖廟で悲しみの分かち合い

 日中の旅行で2人はヘトヘトになったようだが、どうしても2つの聖廟をみておきたくて先へと進む。ナジャフがシーア派初代イマームのアリーが暮らした場所として尊いのに対し、カルバラはその後継者であった息子たちが殺された場所として崇められている。

 スンニ派とシーア派の対立を決定的なものにしたのが「カルバラの戦い」だ。スンニ派側として選ばれていたウマイヤド朝の後継者が死に、その息子が新たな後継者として選ばれた。この時、これに反対する形でアリーの息子、フセインもその正統な後継者として名乗りをあげた。

 フセインの異母兄弟アッバスも加勢し、フセインの側とウマイヤド朝側との戦いが行われた。しかし、ウマイヤド朝の多数の兵士を前にフセイン、アッバス含めてシーア派一族が殺されてしまった。

 カルバラには二人をまつる聖廟が数百メートルの距離で並んでいる。シーア派初代カリフのアリーも重要人物だが、彼は同じ勢力だった人に暗殺された。フセインやアッバスはまさしく敵であったスンニ派勢力に殺されたので、カルバラという場所やフセインには余計にシーア派の悲しみや恨みが詰まっているのだろう。シーア派の人は苦しい時、悲しい時、「フセイン!」と声をあげるとも何かで読んだことがある。

 シーア派の過去に想いを馳せ、いざ訪問。しかし、レストランからほど近くの聖廟を前にして、想像との落差に私はラフィッドに伝える感想に困ってしまった。

 この2つの聖廟を含む周辺は、厳かな気持ちになるというよりも、「テーマパーク感満載」なのだ。2つの聖廟はそれぞれ優しいエメラルドグリーンと白にライトアップされている。聖廟の間は白いタイル張りの街道で繋がれている。街道は弓形のオシャレな街灯が並び、ヤシの木が植えられてなんだか和む雰囲気もある。街道の途中に演説台も設置されていて、そこで話に耳を傾ける人もいる。大きな液晶パネルで何かお知らせのようなものも流している。

アッバス聖廟とフセイン聖廟をつなぐ道
アッバス聖廟

 しかも、夜11時になっても人でいっぱいなのだ。というかこの場所自体に人々が寝泊まりしているのだ。家族連れらしき集団などがそこかしこでゆったりと時間を過ごしたり、毛布を広げて地べたで寝ていたり、おしゃべりしたりしている。ホームレスだとか貧乏旅行の宿無しといった雰囲気は一切ない。

 「みんなできるだけフセインやアッバスのそばで時間を過ごしたいと思うの」

 ラフィッドが教えてくれる。気候もいいし、床はツルツルでそんなに汚くなさそうだし、屋根もある。野外キャンプのようでなんだか楽しそうなのだ。

あちこちで毛布を敷いて寝泊まりする人たち
2つの聖廟をつなぐ道
モスクに入る時は私はこの格好

 聖廟を見てラフィッドが言った。

 「シーア派行事でフセインの殉教を追悼する40日目の日、アルバイーンの時期にはこの照明は赤と黒になるから。素晴らしいわよ」

 それはそれでおドロおドロしい気がする。人もびっくりするぐらい来るらしい。

 まずはアッバス聖廟から入る。男女の入り口が違うのでアリ・ブナヤンとは別行動。

 ラフィッドは疲れていると言いながらもしっかりとお祈りをして、友人の子どものために買ったという子ども服をフセインの遺体があるはずの銀の格子に擦り付けていた。訪れた人たちはこの格子を手で握り、撫でまくり、キスをする。正直、いろんな人の手垢とよだれで相当、汚いのじゃないかと思うのだが、それは私のとやかく言うことではない。中には感極まって泣いている人もいた。

 「いろんな辛いことや、問題があってここにくる人がいるからね」

 とラフィッド。単に参拝できた感動というよりも、いろんな思いがあってここに来て、その思いがフセインやアッバスの無念を想像して、一気に高まるようだ。

 もう1つのフセイン聖廟へ向かうため、数百メートルのタイルの道を歩く。演説したり、宗教的な歌と踊りをする人たちがいた。

フセイン聖廟

 フセイン聖廟ではさらに大規模な改修工事が進行中だった。

 「そうだ、見せたいものがあるの」

 ラフィッドが示したのは柱の穴だった。

 「ここでは1991年にサダム・フセインが送り込んだとされる武装勢力にモスクが攻撃されたの」

 多くの死者が出たそうだ。

 1991年は湾岸戦争が起きた年だ。湾岸戦争はサダム・フセイン政権とアメリカ政府が対峙して戦った。サダムに弾圧されてきたシーア派の人々は、アメリカが介入したこの機会に反乱を起こせば、アメリカが自分たちを支援してくれると考えた。しかし蜂起は起こしたものの、結局、アメリカなどからは見捨てられた。そしてサダム・フセインが報復としてさらに激しい弾圧をシーア派に加えた。北部のクルド人も同様に蜂起したが弾圧されている。1991年は蜂起の年として記憶されている。

 あとで調べてみると、カルバラのこの聖廟は、この時、今の姿からは想像できないほどサダム・フセインに一度、ボロボロに破壊されていた。イラク人はなんでもモスクを新しく綺麗にしたがるのかと思ったが、そこまで手を加えなければならないほど破壊されていたのかもしれない。

 夜も遅くなのに聖廟の中はお祈りをしたり、ただその場に座って過ごしたりする人でいっぱいだった。

現代の敵・味方

 権力争い、政治闘争は、シーア派とスンニ派の後継者争いや、湾岸戦争の時代だけでなく、現代にもある。

 聖廟から少し歩いたところに大きな看板があった。たくさんの人の顔とロゴマーク。イスラム国との戦いで死んだ人たちを追悼する看板だった。イラク軍の軍事組織の1つ、ハッシェド・シャービー(人民動員軍)のロゴがついていた。年明けにアメリカに殺害されたイランの革命防衛隊コッズ部隊のカーシム・ソレイマニの影響力も及んでいる曰く付き組織だ。

 「この人たち誰?」

 わかっていながらもつい、こんな聞き方をしてしまう。ラフィッドが、

 「ハッシェド・シャービー。人々のために戦って死んだ人」

 「イスラム国と戦ったということ?」

 「そう。自分の意思で戦いに参加したの。時にはお金ももらわずにね。ヒーローよ」

 「ヒーロー?」

 「そう」

 アリ・ブナヤンもそううなずいたようだった。スンニ派地域ではハシェッド・シャービーは嫌われている。イスラム国兵士だけではなく、一般のスンニ派住民に対してまで拷問や誘拐を行っているとされているからだ。だが一方でイスラム国との戦闘に大きく貢献したとの見方もある。

 私が気づかないだけで、今日出会ったり、すれ違った人たちの中でも、家族や友人がハッシェド・シャービーに入った人、それで怪我をしたり、亡くなったりした人もいただろう。テーマパークのように見えたかと思えば、政治の匂いがしたり、人の死が垣間見えたり。聖廟のキラキラした飾り付けで見落としてしまいそうだが、あのきらめきの中に数々の複雑さがあるのかもしれない。

 聖地カルバラのホテルで、ぐっすりと眠りについた。


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