サダムの呪縛
ラフィッドと別れた後、バグダッドの街を記憶に刻みつけようとタクシーの窓の外を眺める。また訪れることはいつになるだろうか。お世話になった人たちの顔を一人一人思い出す。私はゆっくりと感傷に浸っていた。そうしたかった。しかしそうはさせてくれないのがイラクだ。
「君、何人? 結婚しているのか? 子どもはいるか?」
タクシーのドライバーが話しかけて来たのだ。こういう話し方を初っ端からしてくるドライバーは、下心のあるゲスなやつが多い。ちょっと気を許すと俺をボーイフレンドにしてくれと初対面でいってくる輩もいるからだ。
適当に無視するが、ドライバーはティグリス川沿いを走ると、「ビール」がどうだとブツブツ言っている。通り沿いの店にはビール瓶の看板がある。なるほど、ここでビールを買って川べりで飲む人が多く、そのことが気に入らないようなのだ。ドライバー本人が品行方正がよいようには見えなかったが、お酒は彼の倫理からすると許せないらしい。ビール販売の話が面白くてつい会話に乗ってしまったのが失敗だった。
「へー、ビール!」
「どこから来たのか?」
「クルド自治区のアルビルです」
「本当に? 俺もアルビルに住んでた!」
「本当に? クルド人なの?」
「違う。でも住んでた」
そう言いながらクルド自治政府のワシのマークがついたIDカードを見せてくれた。
「アルビルはいいところだね〜。アルビルはマッサージがあるからいいよ。中国人とかレバノン人のマッサージが気持ちいいんだ!」
もちろんここでのマッサージは普通のマッサージではない。性的なサービスを行う店だ。行くのは勝手だが、なぜそれをわざわざ私に話すのか。
私が不機嫌になったのも気にせず、ドライバーは話し続ける。
「この辺りは高級ホテルがあるんだ。あれもいいホテルだ。こっちもいいホテルだ」
ドライバーは指をさして話している。観光案内してくれているのか、目的地のホテルまで行くのが面倒だからこの辺りのホテルにしろといいたいのか、私がマッサージをすると思っているのかよくわからないが聞き流しておく。
だが、指されたホテルの1つをみた途端、私の頭の中をある映像がよぎった。どこかで見たことがある。ホテル名を探した。「Palestine Hotel(パレスチナ・ホテル)」とあった。
パレスチナ・ホテルといえば、2003年のイラク戦争開戦時、マスコミが拠点として使った場所だ。そのすぐ近くにあるフセイン像がイラク人と米軍によって倒される様子は、政権崩壊を象徴する映像として世界中に流れた。もしかしたらこの近くにサダムの像があったのかもしれない。
バグダッドに来ながら私はあのサダム・フセイン像があった場所をまだ私は訪ねていなかったのだ。
キョロキョロしているとロータリーの真ん中に何もない空き地があった。もしやと思い、ドライバーに聞く。
「サダム・フセイン?」
彼には質問の意味が伝わらなかったようだ。とりあえず写真を撮って、位置情報を保存した。あとでサダム像が倒れた時の写真をネットで探し照合すると、空き地の後ろに写っているモスクが同じものだった。フィルドス広場と呼ばれるその場所にはやはりサダムの像があったのだ。
後で調べると、サダム像の後に、あるアーティストが、イラク人家族が太陽と三日月を抱える像が作ったようだった。しかしそれもまた急いで作ったので老朽化が早く撤去され、またその像の製作者が殺されたことも知った。
次から次にイラクでは問題は溢れ出てくる。昔の問題を解決する間もなく、新たな問題が蓄積されていく。サダムの像のあった場所は街中にぽっかりと空白を作ったままそこにある。最後に私はサダムに、「わかっているか、俺を忘れるな」と言われたようだった。
おわりに
私の11日間のイラク南部旅行。取材でもない、勉強でもない、ただのフラフラ歩き。運の無駄遣いに良心の呵責を感じるが、でもこうやって旅を始めたいという思いもあった。
美しく、楽しく、豊かなイラクの一面を見ることができたと思えば、亡霊のように過去の弾圧や、戦争、現在の混乱がぬっと顔を出す。そしてその上にまた、お茶目で愉快なイラクの人たちとの時間が被せられ、そしてまた亡霊と現在進行形の問題が…とこんなことの繰り返し。知らないことのが多すぎる。
でもまずはイラクを見てみたかった。
イラクのシーア派地域の人たちに会えたことが何よりも嬉しかった。しかし結局のところ、「シーア派地域の人」ではなく、私が出会ったのは「ラフィッド」「アリ」「マルワ」といった固有名詞を持った人たち。
私が得たのは友達ができたということだけだったのかもしれない。でも、それが一番、結果としてうれしかったことなのかもしれない。
この観光旅行から1年経ち、イラクではその間にいろいろなことがあった。
2019年の10月からバグダッドをはじめイラク中南部で政権の腐敗に抗議するデモが行われている。旅行中に出会った人たちの多くがそのデモに参加し、支持していることを知った。基本的に武器を持たない一般市民のデモ参加者を中心に600人以上の死者が出た。
2020年5月に政権は交代した。腐敗にも関係していたイラン系のシーア派政治組織の力が弱まりつつあるといわれる。
今後、どうなるかはわからない。わからないものはわからないのだが、そういうよくある締めの言葉が、とても冷たく感じてしまうほどに、イラクで出会った人たちの顔が浮かんでくる。
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