プチ観光ブームのイラク。特別な思いを込めて観光ツアーに参加するイラク人家族たちがいた。もちろん、今もイスラム国の痕跡や民兵など、戦争とは無縁ではいられないが…。IS(いわゆるイスラム国)支配後のイラクの日常や現地の人々との交流を綴った旅行記。
ユーフラテス川沿いの街の優しいホテル従業員
今回の旅行、最後の遠出。目的地はイラク南部にあるナシリーヤにあるシュメール文明(初期メソポタミア文明)のウル遺跡と、世界自然遺産にも登録された湿原だ。
大型バスで十数人のツアー客と共に向かう。参加するのは、5組の家族連れと、大学生の友人仲間が2組ほど。
4時間ほどバスに乗り、昼過ぎにはナシリーヤに到着。今回訪れた中では最南端となり、蒸し暑さが最高レベルだ。ホテルにチェックインした後、ウル遺跡の観光まで2時間ほど空き時間ができたので散歩に出かけてみることにした。バグダッドでさえ最初は歩くのを怖がっていたのに、私も気が大きくなったものである。
ホテルを出ようとすると、警備のお兄さんが声をかけてくる。若干、アフリカ系の血がはいっているようだった。イラク南部にはこういう人もたまにいるらしい。以下、9割型はジェスチャーの会話。
「どこに行くの?」
「散歩、散布。歩くの」
「それでどこに行くんだい?」
「だからこう、ぐるーっと回るの」
大きく指で円を描いてみせる。
「スーパーか?」
「ちがう、ちょっと歩いて戻ってくるだけ」
てってけ歩く真似をする。おそらくこんな暑い時間帯に散歩をするという発想がないのだろう。
「やめとけ、やめとけ」
「え、危ない?」
「だめだめ、ほらみてごらん」
お兄さんは天を指差す。
「え? 太陽? 暑いからやめとけってこと?」
こんなやりとりをしていると、みかねた英語のできるバングラデシュ人の従業員のおじさんが助っ人に入ってくれた。バングラデシュ、パキスタンからの労働者もイラクにはけっこう多いのだ。
「危なくないよ、大丈夫だよ」
そう、おじさんは言いながらも、ホテルのイラク人責任者らしき人物に私みたいな外国人が一人歩きをしても大丈夫か、聞きに言ってくれた。そしてホテルのビジネスカードを持っていけと丁寧にアドバイスしてくれる。あとでツアー責任者のアリ・マフズミが私に教えてくれたところによると、彼の部屋にも電話があったそうだ。
「『日本人が出かけたがっているけど、いいか?』って聞かれたから、僕は危なくないか確認して、大丈夫だというから、『彼女の好きにさせてやればいい』と答えたんだよ!」
ニヤッと笑って、俺はすでに知っていたという得意げな顔で言った。言いたいのは、みなさんの優しい気遣いに包まれ、私は1時間ほどの小散歩に出かけたのだ。
でも考えて見ると不思議なものだ。ナシリーヤはイラク戦争でかなり激しい戦闘が行われた街の1つ。イタリア軍が駐留していて、死者も多く出た。それがこんなにのんびりとした散歩を楽しめるまでになっただなんて。街は適度にこぎれいで、でも何か地方都市らしく、息のつまる感じが少しする。
ホテルの隣にあるシーア派色バリバリの政治組織
ホテルの隣には住宅が続いていた。しかし歩いて数十メートルのところで奇妙な場所を見つけた。いかつい顔をしたおじさんとターバンをした宗教指導者の顔の看板、そしていくつもの旗が立っている建物があった。なんとびっくり、そこはバドル旅団の事務所だった。
バドル旅団とはイラン政府の影響力が及んでいるシーア派政治・民兵組織だ。1983年に創設され、スンニ派優遇のサダム政権下ではイランに拠点を置き、時にイラク国内で攻撃を行うなどしていた。
イラク戦争後、イラクに戻って来たが、その後始まった宗派戦争ではかなり残酷な方法で(ドリルで頭蓋骨に穴を開けるなど)敵対するスンニ派の人々を攻撃していたと報告されている。今は、イラク軍の一部、ハッシェド・シャービーを構成する一部となり、代表のアミリは政治家となり、最近では運輸大臣を務めたりするなど強い力を持っている。
ものすごく政治的なものがナシリーヤのような街では日常の中に溶け込んでいるのだ。
しばらく歩くとユーフラテス川が見えてきた。大きな橋がかかり、車の通りも多い。
川のすぐ近くに消防団の拠点があった。待機中で暇そうなおじさんには話しかけられる。お決まりの「おー日本人か、グッドグッド」の会話だ。
いろいろ会話を試してみたが言葉が通じないので、自分のアラビア語の不勉強を恨みながら、立ち去ろうとすると、おじさんがある言葉を発した。
「イスラム国」がどうだこうだと言うのだ。
「おじさん、兵士だったの?」
「ちがう、ちがう」
おじさんが何かをひっぱるジェスチャーをする。汗を拭ってまたひっぱるジェスチャー。何が言いたいのか。なるほど、わかったぞ。おじさんは瓦礫の下に埋まった人たちを救助する仕事をしていたのだ。
以前私はイスラム国に占領されたモスルで同じ制服を来た消防士たちを取材したことがある。消防士は空爆で崩れた家の下敷きになった人の救助活動や、遺体を探し出すということをしていた。
「モスルとか行ったの?」
「モスルだけじゃないよ、あちこち!」
「ラマディとかファルージャも?」
「そうそう」
こんな南部遠くのシーア派の街、ナシリーヤからも消防士は参加していたのか。同じイラクでもナシリーヤではイスラム国に占領まではされていない。
短い散歩で見たシーア派色バリバリのバドル旅団の事務所と、スンニ派地域で人々のために働いた消防士のおじさん。
スンニとシーアの関係は複雑だ。宗派対立が激しい時期もあった。でも一時にせよ、イスラム国という共通の敵を相手に「宗派対立なんていしている場合じゃない!」と団結した時期もあったのだ。今はあからさまな宗派対立は無くなったにせよ、つかの間のあの結束はもうないように見える。
英語を学ぶいかつい天使と夕暮れのウル遺跡
無事にホテルに帰還し、午後3時30分、再びバスでウル遺跡に向けて出発する。
移動中のバスでアリ・マフズミが何か解説をしているのだが、アラビア語なのでわからない。外国人料金を払っているのだから後で簡単に通訳してくれてもいいのだが、彼は常にそのことを忘れる。ま、現地人のツアーに突然私が申し込んだのだし、ま、しょうがないと思っていると前の席から天使がささやいた。天使は筋肉ムキムキでいかつい顔をしていた。
「何言っているかわかる? 通訳しようか」
彼はバグダッド大学の学生だった。男フェロモンが強そうで、胸板も厚く、腕も太い。ピチピチの黒いティーシャツにサングラスを頭に乗っけている。ツアー客ではなくスタッフの1人のようで、旅を盛り上げるために車内や訪問先でギターを弾く係をしていた。その見た目に一瞬びびるも、優しい目をしていたのでお願いする。彼はターリクという名前だった。
早速、ターリクは通訳を始めた。長い長いコンクリートの壁を指差し、
「イラク最大の刑務所、フート刑務所だよ。イスラム過激派も多く収容されているんだって」
ウル遺跡の道中にそんな刑務所があるとは、なんともシュールな光景だ。フート刑務所は、イスラム国関係者に限ったわけではなくそのずっと前の時代からイスラム過激派を収容してきた。
ちなみにイラクの刑務所は、イラク戦争後、過激派「養成所」になってしまったことも有名だ。刑務所に入る前は特に強い思想を持っていたわけではないのに、刑務所で他の囚人に感化されて、過激派になってしまった人も多いと言われる。イスラム国の初代リーダー、バグダディも別のところにあるブッカ刑務所でさらに過激化したと言われる。
アリ・マフズミの解説が終わったので、しばしターリクと雑談。
「僕、バグダッド大学で英語を勉強しているんだ。でもネイティブ・スピーカーと話すことはほとんどなくて。って、僕の英語通じているよね。うわ、嬉しい、通じてる」
ターリクはごつい見た目と違って、純粋に喜んでいた。そこへ突然、前の席からちょこんと黄色いTシャツの若者が顔を出した。ターリクが紹介してくれる。
「こっちは友達のハムディ。おんなじ英語科で僕は3年生で、こっちは2年生」
友人のハムディはご機嫌だった。
「はじめまして! えー何歳? あなた34歳なんだ! えー、見えなーい。20歳くらいかと思ったー。ねえねえ、僕の顔どう思う? ヒゲないけど、僕のことが好き?」
返す言葉に困る。なんだこのチャラ男は。英語なので言葉足らずになるのと、無邪気なさゆえだろうが、なんて返そうか迷っていると、ターリクが冷静に、
「彼が言いたかったのは、ヒゲがなくても似合っているかどうかということです」とチャラさを若干取り除いて「通訳」をしてくれる。
「僕は彼が何か失礼なことを言わないか僕は心配です」
そういうターリクにはハムディにはない落ち着きがあった。幼さのまだ残るハムディと1学年差とはとても思えない。
「ぼくは今30歳なんだ。兵士だったんだ」
なんとまあ。
「え!じゃあ、イスラム国と戦ったってこと?」
「そうそう」
「どこに行ったの? モスルとか、ファルージャとか、ラマディ、とかティクリートとかも?」
「ありとあらゆるところに行ったよ」
そういって脇腹と背中を指差して、
「銃弾に当たったこともあるからね」
「どの軍にいたの?」
イラク軍か、連邦警察軍か、はたまたハッシェド・シャービーか。
「えーっと、英語でなんていうんだろう、ナショナル・セキュリティー!」
この落ち着きと男っぽさは軍人であるところから来ているのかもしれない。軍人にはガサツな人もいるが、あらゆる戦いを経験しどこか達観したようになる人もいる。ターリクは後者よりなのかもいれない。しかも30歳で大学で働かずに勉強しているなんて、人のことはいえないけれど、ちょっと変わっていそうだ。イスラム国との戦闘で父親を殺された親戚の子どもを、彼の家族が養子にとっているという。家がある程度、裕福なのかもしれない。
「インスタ持っている? ギターが大好きなんだ。でも軍人時代の写真はあげてないんだ」
軍人であることを自慢する人もいる一方で、彼の中に何かストップをかけるものがあるのだろうか。
ウル遺跡に到着した。ウル遺跡は古代メスポタミアの時代に建てられたジグラットと呼ばれる聖塔だ。今回訪れた遺跡の中で最も古い。紀元前2113年にウル第三王朝の首都として栄えた。聖書に登場するアブラハムの生まれた土地でもあるそう。シュメール文字もここで発見されている。
めいめいが自由に写真をとったり、歌を歌ったり、ダンスを踊る。私もうまいこと乗せられて「上を向いて歩こう」まで歌ってしまった。
おしゃべり好きな素敵な家族
夕食はユーフラテス川沿いのシリア料理のレストランで食べる。親戚グループ6人組が声をかけてくれた。喜んでその輪に加わる。
会話の中心は30代くらいの上品なヒジャーブを巻いた女性マルワだった。まっ黒アバヤの年配の女性、10代後半から20代くらいの若者男子3人に、黒オシャレヒジャーブの女子1人が一緒に座っている。
「わたしはマルワ、弁護士をしていて国際NGOやUNHCRで働いてきたの。こちらは叔母。この若者たちはいとこ。この子1人を除いてね、彼は私の息子」
「え、息子?!」と言いかけて言葉を飲み込んだ。ティーンエイジャーの若者。マルワの弟だと言われてもおかしくないくらいの関係に見える。
聞くとマルワの年齢が私とほぼ同じ33歳であることがわかった。漂う気品と余裕。同じ30数年を生きてきて、なぜこうも違うのだろう。しかも息子までいる。彼が17歳だとしても、マルワは16歳かそこらで子どもを産んだことになる。ラフィッドといい、若い時に結婚する例は少なくないのだろう。そういえば夫や母親の姿はない。様々な疑問が湧き出てくるが、これまでの人生で何度も聞かれたんだろうなと思って、質問できなかった。